中垣内祐一・東京五輪バレー男子監督の功績 日本代表が急速に力をつけた要因を聞く (3ページ目)
たとえば、ディグの中心となるOHの高橋藍は188センチ、石川祐希が191センチ。先のW杯でも、このふたりが自ら拾い、自らアタックを決めて、ポイントゲッターとなった。フィジカルでおくれをとるなら、技術とアジリティー、そしてチーム戦略で補えばいい、とでも言うように。
そして......コーチとしてブラン氏を入閣させたことが、中垣内氏のもうひとつの功績ではないか。
中垣内祐一(なかがいち・ゆういち)/1967年福井県生まれ。中学からバレーボールを始め、藤島高校では同好会レベルのチームに所属。筑波大から本格的にバレーボールに取り組み、在学中に全日本メンバーに選出、ワールドカップで脚光を浴びる。大学卒業後は、新日鐵(現・堺ブレイザーズ)に入社。1年目からリーグ優勝に貢献し、史上初の最高殊勲選手賞と新人賞のダブル受賞。また、全日本でもエースとして活躍し、92年のバルセロナ五輪では6位入賞を果たした。04年に現役を引退。11年から13年まで男子日本代表のコーチを務め、17年から監督に就任し、21年の東京オリンピックで7位の結果を残し、代表監督を勇退。22年に福井工業大学教授に就任。また、系列の中学、高校のバレーボール部の総監督にも就任した
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