中垣内祐一・東京五輪バレー男子監督の功績 日本代表が急速に力をつけた要因を聞く

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki

中垣内祐一インタビュー(前編)

「コシヒカリって、福井県生まれなんですよ」

 コシヒカリといえば、新潟県の代表的なブランド米だが、新潟で交配された苗を、福井県農業試験場が育成したものをそもそものルーツとする。

 東京オリンピック後、男子バレーの日本代表・中垣内祐一監督が勇退した。地元・福井に戻り、コメづくりに取り組むと聞いて、思い出したのが、かつて交わしたそんな会話だ。

1990年代、日本のスーパーエースとして活躍していた頃の中垣内祐一氏 photo by Okazawa Katsuro/AFLO1990年代、日本のスーパーエースとして活躍していた頃の中垣内祐一氏 photo by Okazawa Katsuro/AFLOこの記事に関連する写真を見る

【東京五輪後に故郷の福井へ】

"ガイチ"ことミスター・バレーボールの中垣内さん。『東京2020』で、自身がエースだった1992年バルセロナ五輪(6位)以来のベスト8入りを果たしたチームを率いた監督としては、「コメをつくる」というのはちょっと意外に思える転身ではないか。在籍していた日本製鉄も退社したという。だが、本人にとっては既定路線だったようだ。

「30年以上在籍していましたから、会社からは『なぜ?』と首をかしげられましたね。収入も減ることになる。ですが、実家は江戸時代からコメづくりをしていて、入社した時から50歳前後で帰省しようと決めていたんです。何十年も好きなバレーボールをやらせてもらいましたし......」

 中垣内さんは1967年生まれ。だか、まさに「50歳前後」にあたる2016年に、男子日本代表の監督に選出されている。それで実家に戻ることを先延ばしにし、東京五輪終了後に実行に移したというわけか。なるほど、米農家なら、コシヒカリのウンチクに詳しいのも当然なのである。

 中垣内さんの現役引退は04年。所属した堺ブレイザーズの監督を5シーズン務めたあと、日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員として、アメリカで2年間知見を深めた。

 帰国して11〜13年と日本代表のコーチを務めたあと、社業に専念した。16年に日本代表監督に就任すると、自らが白羽の矢を立てたフィリップ・ブラン氏をコーチに招聘した。実質的な指揮と選手の起用をブラン氏に委ね、自身は「総監督」的な立場をとる。

 そういえば東京五輪の試合中も、タイムアウト時にはおもにブラン氏が指示を出すシーンが目立った。

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