大林素子が切り開いたアスリートの新たなセカンドキャリア。タレント、舞台......今後も「たくさんの夢に向かって全力」 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • photo by 立松尚積

引退後、モータースポーツのキャスターも務めた

――アトランタ五輪後のVリーグで現役最後のシーズンを送ることになりますが、引退はいつ頃から意識していたんですか?

「イタリアから帰国する頃には、『アトランタ五輪が終わったら......』と考えるようになっていましたね。プロ選手としては、東洋紡をリーグ優勝に導いて現役を終えたかった。若い選手が多かったですから、その選手たちに優勝の喜びを味あわせてあげたかったんですが......結果は準優勝。決勝までしか届きませんでしたね」

――引退を発表したのは、NECレッドロケッツとの決勝の前でしたね。

「決勝の会場には『モトコさん 夢をありがとう』という大きな垂れ幕がかかっていて、『こんなに多くの方に惜しんでいただきながら引退できるなんて幸せだな』と思いました。試合では、思うように決められなかったのに、セッターのリキ(永富有紀)が何度も何度もトスを上げてくれた。私に上げてくれた最後の1本は、相手ブロックにワンタッチを取られて、簡単にレシーブされて切り替えされました。それが、当時の私の力を象徴していましたね。

 でも、東洋紡で過ごした2シーズンで、プロとして新たな歴史を伝え、つないでいく道を作れたことは誇りに思っています。また、プレー環境、共に闘った仲間にはとても感謝しています」

――引退後は、まずスポーツキャスターとして活動されるようになりましたね。

「まずは春高バレーの解説からでした。春高バレーは取材をするたびに、高校生たちの頑張りに涙しています。バレーの取材で意識しているのは『寄り添う』ということ。私はオリンピックのメダリストじゃないですし、現役選手にも上から目線ではなく、常に相手をリスペクトする気持ちを持つこと、応援団として頑張りを伝え、未来につなぐことを大切にしています。

 スポーツキャスターとしては、F1の中継ピットレポーターをやらせていただくなど、モータースポーツに深く関わらせていただいたことも大きかったです。まったく知らないスポーツでしたが、ひたすら取材場所に通ってメモを取って、それを基に質問やコメントなどを考える。スポーツキャスターとしての軸はそこで作り上げられたと思っています」

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