齋藤真由美はバッシングの嵐でも禁断の移籍を決意。「この人にバレー人生をかけたい」と思う名将の言葉があった (4ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 松永光希●撮影 photo by Matsunaga Koki

【日本一になるための「改善要求」】

当時2部だったパイオニアを1年で昇格に導いた(『バレーボールマガジン』提供)当時2部だったパイオニアを1年で昇格に導いた(『バレーボールマガジン』提供)この記事に関連する写真を見る――吉原知子さん、佐々木みきさんが1部の東洋紡に移籍するなか、齋藤さんが2部のチームに移籍することを周囲はどう見ていたんですか?

「それを伝えた時、セリンジャー監督は怒りましたよ。『なんで下のチームに行くんだ? 私が教えてきたすばらしい選手たちはみんな上を目指しているのに、お前は何をやってるんだ。若い選手の上であぐらをかきたいのか』って。私は育てて勝つことにチャレンジしたい気持ちを伝えましたが、ちょっとケンカ別れみたいな感じになり、『俺の言うことを聞かない選手は、みんなあとで土下座する思いをするぞ』とも言われました」

――先ほどは名言の宝庫と言いましたが、そんな辛辣なことも言うんですね......。

「そうですね(笑)。でも、私のなかでは計画があって。若い選手たちを率いてチームを昇格させて、そのチームにセリンジャー監督を呼んで日本一を目指したかったんです。だけど、当時のパイオニアはトレーナーもドクターもいなくて、寮もプレハブ小屋のようでした。それでも1年目は、プロ選手として加入した自分の力や価値を認めてもらわないといけないと思い、環境は我慢してチームを引っ張って、無事に1部に昇格することができました。

 そこからは、日本一を目指せるチームにするために環境改善の提案をしました。日中に働いていた選手たちをバレーボールに専念させること、東北が本拠地(山形県・天童市)なのに暖房がなかったのでそれを完備すること、トレーナーや栄養士もつけ、外科や婦人科といった医療のコミュニティを確立させること。『そこまでしないとトップには行けない』という話をしましたね」

――選手という立場で、よくそこまでの要求ができましたね。相手によっては、また「反抗的な選手」と捉えられてしまうリスクもありそうですが。

「それが、当時の石島聡一社長はすべてを受け入れてくれて、本当によく動いてくださいました。日立の山田重雄さん(モントリオール五輪で日本女子を金メダルに導くなどした監督)のところに自ら出向いて、日本一になるための話を聞いたり。社長を胴上げしたいという思いが強くなりましたね」

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