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元日本代表セッター佐藤美弥は「バレーとは関係ない進路を自分のなかで決めていた」。江畑幸子、栗原恵ら競技人生を変えた出会い (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

 そうして不安を抱えながら日立に入団した2012年、チームメイトになった江畑はロンドン五輪に出場。準々決勝の中国戦では木村沙織と並ぶチーム最多タイの33得点を記録するなど、銅メダル獲得に大きく貢献した。

「当時の私にとっては日本代表が身近じゃなくて、"テレビのなかのもの"でした。そこで活躍するエバを、単純に『すごいな』と思ってプレーを見ていました」

 そこから、佐藤も代表の中心選手になるまで成長を遂げるわけだが、能力を大きく伸ばしたひとりが、2014年に日立の監督に就任した松田明彦だ。松田は男子日本代表のセッターとしてバルセロナ五輪に出場し、引退後は男子Vリーグの豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)の監督に就任。初めてチームをプレーオフに導いた。

 日立でも男子の戦術を取り入れるなどして強化。Vリーグ1部(プレミア)に昇格したばかりで、下位に沈んでいたチームを準優勝(2015-16シーズン)にまで引き上げた。自身が現役時代にプレーしていたセッターの育成もうまく、佐藤はその恩恵を受けた形になる。

「松田さんは、その時にチームにいるメンバーにとってベストなバレーを教えてくれる方でした。私も松田さんに指導していただくようになってから、いろんな方にプレーを評価していただけるようになりましたし、本当に大きな出会いでしたね。チームメイトも、すごく精度が高いパスを返してくれて、トスをことごとく得点にしてくれる選手たちが揃っていて、『恵まれていたな』と思います」

 松田の指導ではどんな戦術で、セッターについての教えはどうだったのだろう。

「戦術的には"速いバレー"で、私自身にも、チームにもマッチしていたと思います。ただ、練習での指導は『ピュッてやったらいいんだよ』『こういう感じやで』といった"感覚の人"な印象です。

 でも、試合中はトスでミスをすると『違う!』と一喝されたり、大事な1点を巡る場面の時には『次はこれで』というサインをくれたりします。それがほぼ100%決まるんですよ。そういったなかで、試合の流れを読む力が培われたように思います。

 何より私にとっては、すごく信頼してくれているのを感じられたのが大きかったです。うまくいかないプレーがあって考え込んでしまっている時などに、『お前なら、こんくらいできるやろ』と簡単に言ってくれることで前に進むことができた。それが、選手としての自信につながりました」

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