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元日本代表セッター佐藤美弥は「バレーとは関係ない進路を自分のなかで決めていた」。江畑幸子、栗原恵ら競技人生を変えた出会い (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

 高校では1年生を主体に起用され、「その分、出場機会が減ってしまった先輩たちに対する責任も感じていました」というなかで佐藤も江畑も経験を積んでいく。

「エバは、チームメイトとして本当に頼もしかったです。当時もセッターとして頼っていたというか、任せきっていた部分もありました。バレー以外の部分でも一緒にいることが多くなって、映画を見に行ったり買い物をしたり遊んでいましたね」

 ともに成長し、3年生で迎えた国体は3位決定戦をフルセットで勝利。3位という輝かしい成績を収めた。

「それまでの全国大会では結果を残せていなかったので、まったく期待をされていなかったでしょうけど、なぜか勝ち進んで(笑)。この国体は、大会が終わるまですごく楽しかったです」

のちに日本代表で活躍する佐藤と江畑 photo by Sakamoto Kiyoshiのちに日本代表で活躍する佐藤と江畑 photo by Sakamoto Kiyoshiこの記事に関連する写真を見る バレーは高校で終わり。そう考えていた佐藤は「Vリーガーになれるとはまったく思っていなかったですし、バレーとは関係ない進路を自分のなかで決めていた」が、秋田国体による出会いが人生を変える。

 秋田県は国体に向けた強化のため、日立佐和リヴァーレの総監督を務めていた菅原貞敬(現・日立リヴァーレのシニアアドバイザー)を国体強化アドバイザーとして招いていた。その菅原に、東京の名門である嘉悦大学を紹介されたのだ。

「菅原さんに紹介していただいたことで、『挑戦してみよう』と思うことができました。『セッターはとにかく経験を積むことが大切だ』という話もしましたね。それで嘉悦大を卒業したあとに日立に入るのは自然の流れかもしれませんが......その時点でもVリーグで活躍できる自信があったわけではありません。

 高校、大学の時も、日立には合宿に行っていたのでどんなチームかはなんとなくわかっていました。ただ、日立に入った当初は『エバがいる縁があるからで、自分の実力じゃないのかな』ということが頭をよぎったこともあります」

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