岩坂名奈が「何ができたんだろう」と悩む日も。女子バレー代表キャプテン時代を語る (2ページ目)
――プレー面でも選手を引っ張ることが求められたと思いますが、成長のために取り組んだことはありますか?
「2017-2018シーズンから、(久光に)アメリカ代表のミドルブロッカーとしてオリンピックでも活躍したフォルケ・アキンラデウォが加入したんですが、彼女から学ぶことは多かったです。身体能力はまったく違いましたが、私も相手ブロッカーの動きをよく見て、特徴を見極めながらプレーするようになりました。
自分がプブロックする際も、1歩目のステップが速くなったかなと思います。アキンラデウォは年上で、キャリアもすばらしいのに、久光でもいろんな選手のプレーを見て学んでいた。日本語もどんどんうまくなっていって、通訳さんを通さずに意思疎通できることもありましたよ。そういう選手がずっとトップでやる選手なんだなと実感しました」
引退後の活動の展望についても語った photo by Kimura Masashiこの記事に関連する写真を見る――翌シーズンは久光のキャプテンも務め、2018年の皇后杯を制するなどさらなる成長を遂げたように思いましたが......日本代表では少し苦しんでいた印象もあります。
「日本代表の主将を担うには何かが足りなくて、その何かを埋めきれませんでした。苦しくても自分を保って、周囲の声に流されないように......と気持ちを強く持ってプレーしましたが、個人では結果を残すことはできませんでしたね」
――2020年には代表に招集されず、主将も交代となりました。
「それも、先ほど言ったように『結果がすべて』。毎年、代表の活動が始まる時に『頑張ります』と言っていたんですが、シーズンを終えて、プレー面、キャプテンとしても『実際は何ができたんだろう』と思うこともありました」
――東京五輪1年の延期はどう感じましたか?
「そこを目指してやってきたひとりなので、もどかしい部分はありました。それでも『1シーズンずつ頑張ろう』と思っていましたが、今年の1月になっても調子が上がらず、チームに貢献できないことが続いて。大きなケガなどをしたわけではないですが、これまでの疲労の蓄積のようなものを体が感じるようになっていましたね。今年度の代表について考えることもできなかった。自分で考えて、決断して引退をチームに伝え、認めていただきました。
2 / 3