江畑幸子が竹下佳江の10cm変更トスに「すごい」。ロンドン五輪の大一番直前にあった驚きの指示 (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

 翌2011年のW杯では、日本は惜しくも上位3チームに入れず(4位)ロンドン五輪の出場権を得られなかったものの、江畑は「自分が『世界に通用する』と確信を得た大会です」と振り返る。当時の絶対的エースだった木村と共に得点を重ね、「ダブルエース」と呼ばれるようになっていた。

「直前まで調子が悪かったのが、いざW杯が始まったら急によくなったんです。そこで眞鍋監督にも『沙織とエバ、2人で頑張れ』と言ってもらえるようになった。大会後に、海外チームも含めた全選手の中で、私のバックアタックの効果率が一番よかったことを聞いたんですが、自分の"武器"として大きな自信を持つことができました」

ロンドン五輪での激闘を振り返る江畑 photo by Matsunaga Kokiロンドン五輪での激闘を振り返る江畑 photo by Matsunaga Kokiこの記事に関連する写真を見る 木村と共にエースとして期待されるプレッシャーもあったが、それを感じている暇はなかったという。

「もちろん、一番大変なのはエースの沙織さん。徹底的にサーブで狙われて、トスが上がる前から沙織さんに2枚ブロックがつくような感じでした。私がバックアタックを打つ時もノーマークになることが多かったです。

 そこで決めないと沙織さんへのマークがより厳しくなってしまう。そういった場面でしっかり決め続けて、積極的にトスを呼べば、少しでも相手ブロックの注意を引くことができる。私自身もプレッシャーを感じないことはなかったですが、沙織さんを楽にするため、私がやることははっきりしていました」

 世界選手権やW杯の戦いから、2012年の最終予選では「全勝でロンドン五輪出場を決める」ことが目標に掲げられたが、最終戦でようやく出場権を獲得。チーム状態が少し心配されたものの、本番ではグループ3位で決勝トーナメントに進出した。

 準々決勝の相手は、江畑が「一番印象に残っている試合」に挙げる中国。金メダル候補とも目されていた強豪を相手にフルセットの激闘になったが、木村と江畑がチーム最多の33得点を記録するなど両エースが躍動した。

 この日の江畑は、本人が言う「何でもうまくいく『当たりの日』」で、「特にこの日は絶好調でした」と語る。勝負が佳境に差しかかった第5セットの終盤には、中国選手のスパイクをブロックしたボールが体とネットの間に落ちる......と思われたものを拾い、体勢を立て直してトスを呼び、強烈なスパイクを決めたシーンもあった。決して得意ではなかったレシーブやつなぎでも好プレーを見せるなど、完全に"ゾーン"に入っていた。

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