「バレーは2015年でやめようと...」それでも佐藤あり紗がリオ五輪に出場した理由 (3ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――その結果、同年11月のワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)にも出場して、ベストリベロ賞にも輝きました。大々的にテレビで放映された大会での活躍で、周囲の反応も変わったんじゃないでしょうか。

「そうですね。仙台で代表デビューした際も、SNSや、テレビなどを通してプレーを紹介してもらったんですが、グラチャンでさらに認知してもらい、応援のメッセージもたくさんいただきました。『一生懸命頑張って結果を出すことによって、いろんな人をハッピーにできる』ということを感じた大会でしたね」

――2014年10月の世界選手権にも出場しましたが、翌年は代表を辞退していますね。

「2014年の年末に膝のケガをしたことが大きな理由です。バレーは2015年でやめようとも決めていました。だから膝を『しっかり治そう』ということもなく、テーピングをして、だましだましやっていて。バレーボールをやめたい、離れたいということは、チームメイト、スタッフ、家族にも話していました」

――それでも、リオ五輪イヤーの2016年には再び代表に名を連ねます。

「その時はすごく悩みました。でも、オリンピックがある年に代表に選んでもらえた時に、今まで自分を支えてくれた方々への恩返しは、オリンピックという舞台でバレーをすることなんじゃないかと思い直して......。それで頑張ろうという気持ちになりました」

――同年5月に行なわれた世界最終予選(OQT)で、出場権を獲得した時のことは覚えていますか?

「そのイタリア戦は2セットを取ればよかったみたいなのですが、いざ獲得した瞬間は、選手はわかっていませんでした。『試合は終わってないのに、なんか会場が騒がしいな』と(笑)。徐々に状況を理解していきましたが、細かい計算にとらわれず、『1点を積み重ねてとにかく勝つ』という意識が高かったんだと思います」

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