清水邦広は男子バレーの不死鳥。
目指す東京五輪で「何としても結果を」 (2ページ目)
――そんな決意のもと、リハビリはどのように進んだんですか?
「手術後の2カ月くらいまでは、右膝の曲げ伸ばしを繰り返しました。手術のあとに動かさないと可動域が狭くなり、ケガをしやすい状態で固まってしまうので、かかとをお尻につける動作をするんですが、慣れるまではかなり痛かったですね。
それが多少できるようになったら、チューブを使ってのトレーニングで徐々に筋肉をつけていきました。膝をカバーするため、太ももの大腿四頭筋とハムストリングスを重点的に。今でも右足はケガをする前に比べると細いんですけど、それが以前と同じになるくらいまで回復したら、もっとパフォーマンスを上げることができると思います」
――その後、退院の翌日に発症した患部の感染症も乗り越え、ジャンプの練習を再開した時に恐怖心はありましたか?
「恐怖心よりも、感覚を取り戻すのに苦労しましたね。10cm、20cmくらいのジャンプから始まって、最初のスパイク練習は小学生用の2mのネットで行なったんですが、空中でバランスが取れずにネットにかけてしまうこともありました。なので、中学生、高校生の高さのネットでスパイクを打てるようになった時は、すごくうれしかったです。敏捷性をとり戻すための地道なトレーニングが多かった分、大好きなスパイクを打てる喜びも大きかったですね」
――そして、2019年2月のサントリーサンバーズ戦で復帰。その時の1点目は、リベロの永野選手からの2段トスを打ち切ったものでした。
「最初の1点がセッターの深津(英臣)からのトスではなく、永野さんからの2段トスというのも、僕らしい復帰の仕方だとみんなに言われました。そういう難しい状況で決めるのが僕の役割ですし、決められてよかったです」
――そのままリーグ優勝を目指せるかと思いきや、その試合の直後にまた感染症にかかり、再手術となりました。優勝を決める4月のファイナルには間に合いましたが、その時の心境は?
「1回目の時のほうが精神的にはきつかったです。やっと退院できた矢先でしたから。2回目は、落ち込むというより腹が立ちましたね。『神様は、俺にまだ試練を与えるのか!』と逆に燃えてきて、『絶対に復帰してやる』と強く思っていました。
とはいえ、2回目の感染症の手術から急ピッチでリハビリをしたので、(ファイナルで)ちゃんとプレーできるのかなという不安はありました。そこでもチームメイトに支えられ、応援してくれる方々からも、『もう一度プレーする姿が見たい』というお手紙をたくさんいただいた。起用してくれた川村(慎二)監督も含め、本当にいろんな方に後押しされてファイナルのコートに立つことができたので、感謝しかありません」
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