清水邦広は男子バレーの不死鳥。
目指す東京五輪で「何としても結果を」
レギュラーシーズンの佳境を迎えるVリーグ男子で、パナソニックパンサーズの清水邦広が好調を維持している。
昨年11月に「Vリーグ栄誉賞」の対象となる通算230試合出場と、通算得点数数(当時4057点)の更新をダブルで達成。1月17日時点で、総得点ランキングは日本人3位(全体の11位)の246点と、リーグ3連覇を狙うチームをけん引している。
清水は2018年2月のVリーグでの試合中に、右膝の前十字靱帯を断裂したほか、半月板損傷なども重なって長期離脱を余儀なくされた。懸命なリハビリで昨シーズンの終盤に復帰し、再び日本代表でもプレー。遠ざかったかに見えた東京五輪出場を再び手繰り寄せた清水に、大ケガから復活するまでの苦闘と五輪出場への思いを聞いた。
大ケガから復帰し、日本代表やVリーグで活躍する清水 photo by MAMI――あらためて、2018年2月に負ったケガを振り返っていただけますか?
「あの瞬間は『とんでもないケガをした』とすぐにわかりましたし、診断結果を聞いた時は絶望しかありませんでした。2016年の12月に右足の舟状骨を疲労骨折し、そこからケガをしないような身体作りをして復帰した時はすごくコンディションがよかったんです。それなのに、また大ケガをしてしまって、自分の中で何かの糸が切れたように感じ、『もうリハビリをする気力がないので、バレーボールをやめます』と、担当してくださったドクターの荒木大輔先生に伝えました」
――そこから、どのように気持ちを持ち直したんですか?
「荒木先生が、『今回は前十字靭帯損傷の中でも、もっとも症状は重いけど、今の時代は決して治らないわけじゃない』と、いろんな治し方を提案しながら説得してくれました。『みんなで知恵を出し合いながら治し、復帰して納得がいかなかったら、その時に進退を考えればいい』とまで言ってくださって。そこで『もう一度やろう』と決意することができました。
また、その年のファイナルでチームが優勝したあとに、"ベテラン組"の白澤(健児)さん、永野(健)さん、同期の福澤(達哉)との4人で祝勝会をしたんですが、その時に永野さんから『みんな、一番つらいのはお前だということはわかっている。できることは何でもするし、絶対に待っている』と言われたことも大きかったです。まだ車イスに乗っていた僕はこらえきれずに泣き崩れちゃったんですけど、同時に『絶対に来年は決勝のコートに立つ』と思うことができたんです」
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