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栗原恵が振り返る成長の記憶。
バレー大好き少女は挑戦を続けて強くなった (4ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――新しいタイプの指導に、戸惑うことはありませんでしたか?

「まったく戸惑いはなく、考え方の幅が広がるきっかけになりました。セリンジャー監督は『メグがどう思っているかは、主張しないとわからない。プロでは監督と選手は対等だ。意見交換していいものを作っていくんだから』とも言ってくれたんです。私はずっと監督に対して受け身でいることが多かったんですが、それから『疑問に思ったことは質問してみよう』と思うようになったんです」

――そこからだいぶ先の話にはなりますが、2011年にはロシアスーパーリーグにも挑戦されましたね。ロシアの練習はいかがでしたか?

「『海外のクラブはあまり練習しない』と聞いていたんですけど、ロシアは違いました。組織的な練習やブロックフォローの練習など、日本に近いことをするイメージがすごくあります。あとは、移動時間がすごく長かったですね。寝台列車で12時間くらい移動することも多かったんですけど、その移動時間がチームのお休みという感覚でした」

――それはきついですね。

「そうですね。それまで私は、日本国内の移動も苦手だったんです。首や腰を痛めないようにすごく気を使っていましたから。でも、ロシアリーグから帰ってきたら、『日本って、どこに行くにもこんなに近いんだ』って(笑)。おかげで、移動の苦手意識はなくなりました」

(後編に続く)

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