木村沙織が6人全員を振り返る「私を育てた女子バレー界の監督たち」 (4ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 坂本清●撮影 photo by Sakamoto Kiyoshi

――木村さんは長らく菅野監督のもとでプレーしましたね。

「高校を卒業してからずっと、本当にお世話になった監督です。人柄がとても暖かくて、真面目で一生懸命。若い頃って、指導をされた時に『なんでそんなこと言われなきゃならないの?』とか思ったりするし、選手もいろんな選手がいるじゃないですか。それでも菅野さんは選手によって態度を変えることもなく、誰に対しても同じ温度で接して、『ここを目標にしてるから、みんな集まれ〜!!』といった感じの監督でした。ここまでついてこれたのは菅野さんだったからだと思うし、菅野さんのもとでバレーを本気でできて楽しかったです」

目を潤ませながら、笑顔でインタビューに答える木村目を潤ませながら、笑顔でインタビューに答える木村――リオ五輪の後、すぐに引退するのではなく「もうワンシーズン東レでやろう」と思ったのは、菅野監督だったからというのも少し影響しているんでしょうか?

「ほぼそうですね。少しじゃないです。菅野さんだったから、『やろう』と思いました」

――全日本の柳本監督の後任で、リオ五輪まで指揮をとっていた眞鍋政義監督はどんな監督でしたか?

「どんな監督......。ちょっとひと言では表現できません(笑)。指導方法は、柳本さんからガラッと変わって、ひとつひとつのプレーがコーチ制になるなど新鮮でした。選手も、話をしっかり聞く人がいっぱいいましたから、いろんな会話が生まれて、チームの結束が深まったなという印象があります」

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