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1964年、日本中を熱狂させた女子バレー「東洋の魔女」の本音

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • photo by Kyodo News

10月特集 東京オリンピック 1964の栄光、2020の展望(11)

 1964年の東京五輪で初めて実施競技として採用されたバレーボールで、全日本女子が圧倒的な強さで、金メダルを勝ち取ったことはあまりにも有名だ。ソ連との決勝戦の中継は視聴率66.8%。現在もスポーツ中継の史上ナンバーワンの座を譲っていない。今回、"魔女"の1人、井戸川(旧姓・谷田)絹子さんにインタビューすることができた。60年ブラジル世界選手権で銀、62年ソ連世界選手権で金、そして、東京五輪でも全試合フル出場し、金メダルを獲得した。

宿敵ソ連を破って、金メダルを獲得した全日本女子。大松監督を胴上げ宿敵ソ連を破って、金メダルを獲得した全日本女子。大松監督を胴上げ

 バレーを始めたのは、兄の影響だった。中学から始め、兄の知り合いだった小島孝治氏(のちに全日本女子監督)の指導する強豪四天王寺高校に入学。高校在学中から大松博文監督率いる日紡貝塚と合同練習や合宿を行なううちにスカウトされ、そのまま日紡入りした。

「当時やっていたのは9人制(※)だったんですよ。その頃の大松先生は、ユニフォームでなくてワイシャツに背広姿で、自分は動かずに座って指示をされてました。今で言ったらイケメンなんですけど、すごく怖いというイメージしかなかったですね。先生にあこがれる気持ちはなかったか? そんな雰囲気じゃ全然なかったです(笑)」

※1950年代後半まで、日本では9人制が主流。その後、国際化の波で6人制に切り替わった。ただ、現在でも全日本9人制バレーボール総合選手権など、大会は行なわれている

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