錦織圭と伊達公子「元世界4位同士」のささやかな交流 試合後の涙の言葉に「選手の気持ちとして、痛いほどわかる」 (4ページ目)
【錦織から届いたLINEの内容】
時の流れにともない薄れるのではなく、むしろうずくタイトルを逃した悔い──。その痛みを語れるのは、錦織と同じく世界4位の高みに至り、グランドスラムのベスト4も複数回経験した、伊達さんだけだろう。
果たして伊達さん自身にも、のちに悔いた「あの時」があるのだろうか......?
「現役の時は本当に私も若かったし......。20代の当時の私は、グランドスラムの決勝に進んで、これ以上のプレッシャーが自分にのしかかるくらいだったら、優勝なんていらないって思っていたくらいだったんです。
でも、やっぱり先ほど言ったように、優勝と準優勝では大きな差があると思うんです。世界1位の記録や記憶は時間とともに流れていくけれど、タイトルは永遠に残る。実はこの間のアジア大会の時、男子ダブルスで優勝した楠原(悠介)くんが所属する伊予銀行のコーチであり、私の全日本選手権でのミックスダブルスのパートナー、植木(竜太郎)くんから決勝前に連絡をもらったので、『勝たないと何も残らないよ。銀と金は違うからね』って返事したくらいなんです。
そういう意味では、私は......そうですね。月日とともに、そういうのは感じるようになりました。でもあの時には、わからなかった。あとから、わかってくる部分もあるので。
錦織くんも当然、当時も優勝したかったという思いは強くあったと思います。でも、きっと今はそれ以上に大きくなったんじゃないかなと思うんです。そして、この先もっと大きくなっていくんじゃないかなっていう気はしますね」
そのような種々の感傷や共感を覚えるからこそ、伊達さんは錦織が引退表明をした時も、そして最後の試合を終えたのちも、あえて自ら連絡を取ることはなかった。
そんな伊達さんのもとに、ラストマッチを終えた錦織から、LINEが届いたという。
そこには彼らしい素朴さで、「コイントス、ありがとうございました」と書かれていた。
(つづく)
◆伊達公子の視点(2)>>「彼にはテニスが3Dに見えてるんじゃないか」
【profile】
伊達公子(だて・きみこ)
1970年9月28日生まれ、京都府京都市出身。6歳でテニスを始め、1989年にプロ転向。WTAツアーでシングルス8勝、ダブルス6勝を挙げ、世界ランキングはシングルス4位、ダブルス28位を記録。四大大会では、1994年の全豪オープン、1995年の全仏オープン、1996年のウィンブルドンで女子シングルスベスト4に進出。オリンピックには2大会連続(1992年、1996年)で出場する。1996年に現役を引退したが、2008年に37歳で復帰。2009年には韓国オープンで13年ぶりとなるツアーのシングルス優勝を果たし、2017年に46歳で2度目の引退。現在は女子ジュニアの育成プロジェクトなどに取り組む。身長163cm。
著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。
【写真】日本女子テニス「6人のティーンエイジャー」フォトギャラリー
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