かつての天才少女・奈良くるみが引退、独占インタビュー。「がんばれているから、辞めてもいいのかな」 (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

元天才少女の自負と葛藤

「生意気だった」という天才少女が、「がんばっている自分を認めてあげることができたから」と自ら幕を引いた、そのキャリアの転換期とは?

「やっぱり一番挫折を感じたのは、トップ100に入るところです。101位まで行ったのかな? そこまでは順調だったと思いますが、ちょっとそこで壁にぶつかったというか。自分のテニスにコンプレックスを感じ始めていました。パワーもないし......って」

17歳でプロになった奈良は、18歳の初夏に全仏オープン予選を突破すると、続くウインブルドンでは本戦初勝利をも掴み取る。同年8月に世界ランキング101位まで駆け上がった足跡は、天才少女にふさわしいものだった。

 だが、最後の一段でつまずくと、途端に目の前で重い扉が閉ざされる。単なる数字であるはずの"100"が、強固な壁として立ちはだかった。

 以降の2年間、ランキング100位台にとどまった奈良は、2012年に新たな指導者の門を叩く。それが、引退の日まで師事し続けた原田夏希コーチだ。

 若くして「完成度の高いテニス」と称賛された奈良の武器は、相手に応じて自分のプレーや戦術を変えられる、柔軟性だったろう。その適応力はしかし、原田の目には「ベースとなるテニスがない」と映る。そこで原田は、フットワークからフォアハンドの打ち方に至るまで、徹底的にメスを入れた。

 ただ、「ずっとこのテニスで勝ってきた」との自負もある"元天才少女"にとって、それは受け入れがたい指摘でもあった。

「時間はかかりましたね。自分の内面的にも、まだちゃんとプロでなかったと思います。(原田)夏希さんにお願いして就いてもらったのに、反抗したり話を聞き入れられなかったり。

 ある時、そんな今までの自分が、すごく恥ずかしいと思ったんです。夏希さんといろいろ模索してたのに、それを信じきれていない。夏希さんの方向性と自分の想いが一致してなかったし、『何をしているんだろ』って自分が情けなくなって。

 そこからは、もちろんトップ100に入るのは一番の目標にしていましたが、結果が出なくても自分でがんばっているなとか、プロとしてやるべきことはやれているなとか、人間として成長しなくちゃいけないとすごく感じたんです。そのためには本当に今がんばって、先を見すぎず、自分を変えていくことに集中しようって思ったんです」

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