2019.07.18

アンディ・マリーと英国民の確執。
あれから13年…誰もが愛す存在に

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

 アンディ・マリー(イギリス)のウインブルドンにおける、忘れがたい光景がある。

 2013年、男子決勝戦――。

 ノバク・ジョコビッチ(セルビア)のショットがネットを叩いた時、彼はラケットを放り投げ、キャップをはたき落とすと、身体をスタンドへとひるがえし、両手で幾度も拳を振り上げた。

セリーナとのコンビでウインブルドンを大いに沸かせたマリー 暑く、雨の少ない年のことである。2週間酷使されたセンターコートの芝は剥げ、咆哮(ほうこう)を上げるマリーの姿が、土煙に包まれた。

 77年ぶり、イギリス人選手のウインブルドン優勝者、誕生の瞬間。

 だが、この光景が忘れがたいのは、単に栄冠を飾る修辞や記録にあるのではない。マリーが拳を突き上げた先……そこにいたのが、プレス席でペンを走らす、記者たちだったことにある。

「あの時に僕が見ていたのはなぜか、プレス席に座る貴方たちだった。たぶん、僕のなかの潜在的な何かが、そうさせたんだろう。ここ何年も、僕らの関係は難しいものだった」

 優勝会見の席で、起伏に乏しい声音と表情で語る、彼の感情をうかがうことは難しい。だが、彼が朴訥(ぼくとつ)につづる言葉は、「テニスの聖地」を自負する国のスコットランド人が、何を背負ってきたかを物語っていた。

「マッチポイントまでは、勝ったらプレスの方を向こうなんて、まったく思っていなかった。でも、勝利の瞬間、そこが僕の視線をとらえた場所だったんだ」

 この時の彼はおそらく、プレス席でキーボードを叩く記者たちの向こうに、英国の人々を見ていた。

「勝てばイギリス人、負ければスコットランド人」

 それはかつて、この国での彼の立ち位置を言い表わした、皮肉の効いたジョークである。

 大会に出れば”イギリス人”として戦うマリーだが、彼が生まれ育ったのは、スコットランドのダンブレーン。その彼が「イングランド嫌い」の烙印を押されたのは、2006年のことだった。

 この年に開催されたサッカーのワールドカップを控えた時期、マリーは人気テニス選手のティム・ヘンマン(イギリス・オックスフォード出身)とともに、テレビ取材を受ける。そのなかで、「ワールドカップではどこを応援する?」と問われたマリーは、「イングランドと対戦するチームなら、どこでも」と応じたのだ。