錦織圭、当時無名の18歳。衝撃の初優勝は記者の人生も変えた

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

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【2008年2月 デルレイビーチ国際テニス選手権】

 11年前、錦織圭という青年の存在を知る者は、まだテニスファンの間でも限られていた。プロに転向して約1年、当時18歳の彼の世界ランキングは240位台。ツアーを戦う雄姿を目にする機会は、日本ではほとんどなかった。そんな情報の少ないなか、ロサンゼルスに住んでいたライターが日本人記者のほぼいない現地に飛び込んで見たものとは――。

2008年にツアー初優勝を遂げた若かりし頃の錦織圭2008年にツアー初優勝を遂げた若かりし頃の錦織圭 パソコンの画面越しに死闘を見届けた後、しばし呆然と椅子に座ったまま、この先の24時間で何をすべきか、思いを巡らせていた――。

 試合会場のフロリダ州デルレイビーチから、約4000Km離れたロサンゼルスのアパートメント。年間を通じて温暖な気候で知られる南カリフォルニアではあるが、2月のこの時期はまだ日は短く、乾いた空気が肌を刺す。

 時間はたしか、午後の3~4時頃だったろうか。だが、フロリダとカリフォルニアには3時間の時差があり、時間では向こうが先行する。

 今から向かったとして、明日の昼すぎに始まる決勝に間に合うものだろうか?

 そう思い、ネットで飛行機を調べると......ある。"レッド・アイ"と呼ばれる夜間飛行のそれに乗れば、マイアミ国際空港には午前中に着く。そこから車を借りて飛ばせば、デルレイビーチまではおそらく1時間強だ。

 ならば、飛行機のチケットを買ってしまうか? いや、まずは大会の広報に連絡し、取材証を出してもらえるか確認するのが先だ......。そう思い直して電話をかけ、「日本のメディアなのですが」と名乗り終えるが早いか、「それはおめでとう! 取材に来るの?」との声が返ってくる。

 もはや、グズグズ悩んでいる暇はなかった。「行きます!」と伝えて電話を切ると、レッド・アイのチケットを購入し、空港から会場までの行き方を調べると、それをプリントアウトしてカバンに押し込んだ。まだ、スマホが普及していない時代。「××アベニューを○マイル走り、△△ストリートを右折」などと書いてある紙だけが道標だ。

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