誰よりも世界を知る伊達公子が「日本テニス界に伝えておきたいこと」 (3ページ目)

  • 神 仁司●文・写真 text & photo by Ko Hitoshi


「砂入り人工芝で育ち、そこで勝つテニスを身につけると、世界に出た時にパワー&スピードテニスに慣れるのに何年もかかってしまう。国内のITF大会では勝てるけど、海外に出ると壁にぶち当たってしまう。(日本では)強化として"世界"を口にするわりには、ハード(の面)が追いついていない」
 
 こう力説する伊達の提言をいち早く実現させたのが岐阜で、いわば"伊達レガシー第1号"なのだ。

 2010年3月末に、岐阜メモリアルセンター内にある長良川テニスプラザでは、センターコートと屋外12面が、オムニからハード(プレキシクッション、オーストラリアンオープンと同じサーフェス)に変更された。さらに、2010年9月にはインドア4面(プレキシクッション)も完成させた。

「地元の人にしっかりやっていただけたのは大きい。これだけの面数とインドアが備わっていて、世界と比較しても劣らない環境は、(日本では)貴重です。岐阜に続いて......と思うところが出てきてほしいのが本音です。岐阜ができたという事実があるのですから、できないことではないはずだし、それを思う人がどれだけ増えてくれるか、ですね」

 第1次キャリアと第2次キャリアの引退を比べた時、決定的に違うのは引退後にテニスと向き合う伊達の姿勢やエネルギーだ。第1次キャリアを引退してから2年ほどは、ラケットも見たくない、テニス会場にも行きたくない、スポーツもやりたくない、旅にも出たくないという思いに駆られ、彼女は心を閉ざして、テニスを自分から遠ざけた。

 だが、第2次キャリアの引退後には、「テニスとはできるだけ関わっていたい。これからもその気持ちは変わらないと言い切れると思います」とファンの前で誓った。このテニスを愛する気持ちとあふれる情熱は今だけでなく、これからもずっと伊達公子の淵源(えんげん)となるものだ。

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