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「伊達公子記念日」に振り返る、1994年・メルボルンの奇跡の裏側 (3ページ目)

  • 内田暁●文 text by Uchida Akatsuki photo by Getty Images

 あれから20年経った今も、伊達公子は、「クルム伊達公子」としてコートに立っている。今年の全豪オープン出場選手128名のうち、伊達がベスト4に入ったその日以降に生まれた選手は、15人。奇しくも、クルム伊達が今回の全豪初戦で対戦したベリンダ・ベンチッチ(スイス)もそのひとりだ。昨年のジュニアランキング1位であり、「未来の女王」と目されるベンチッチは16歳。クルム伊達が現役を退いた1996年よりも、さらに後の1997年に生まれている。

 そのベンチッチほどではないにしても、今年の全豪オープンには日本からも、森田あゆみ、奈良くるみ、そして土居美咲という若い3選手が出場した。グランドスラムの本選に、4人以上の日本人がダイレクトインを果たしたのは、2006年の全米オープン以来のこと。中でも22歳の奈良くるみは、先の全米オープンに続き3回戦進出を果たした。

 伊達が世界のトップ10として活躍した90年代には、彼女の活躍に刺激を受け、グランドスラムに11人もの日本人が出場する全盛期が訪れている。先出の神尾氏は、伊達がいつも飲んでいたスポーツドリンクにも強さの秘訣を見い出そうとし、その銘柄を知りたがった。そして実際に、「伊達さんからドリンクのラベルを見せてもらった時は、直ぐに自分も注文した」と言う。もちろん、そのドリンクが神尾氏の強さにつながったと言いたいのでは、決してない。ただそれほどまでに、伊達が当時の日本人選手に与えた影響は大きく、彼女の存在なくして黄金時代はありえなかったろうということだ。

 それから、20年――。クルム伊達が日本テニス界に運んできた新たな風は、後進たちが世界へ船をこぎ出す契機にもなっている。例えば22歳の土居は、2008年に復帰を決意したクルム伊達から練習相手として指名を受け、翌年のプロ転向会見の際には、クルム伊達からビデオレターで激励を受けた。

 「また、どこかの試合会場でお会いしましょう」

 ビデオを締めくくったその言葉に応えるように、土居はクルム伊達の背中を追って、同じ世界の舞台へとたどり着いたのだ。

 20年前に世界を驚かせた「ライジング・サン」は、そのわずか2年半後に突如として、テニス界に背を向けた。だが、再び日は昇り、今も日本の選手たちに光を与え続けている。

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