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ラグビー日本代表・平尾誠二との「CTBコンビ」でスコットランドから金星 朽木英次は大一番にめっぽう強かった (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【ワールドカップ通算4トライ】

 しかし、日本代表は1戦目、2戦目と見違えるようなプレーを見せる。朽木も「ラグビーキャリアのなかでターニングポイントになった」と振り返るほど、中身の濃い試合となった。

 前半12分、まずはラインアウトからFW陣が前に出てBKに展開すると、スピードを生かした朽木が相手守備網を突破して中央右にトライ。さらに前半24分にもWTBノフォムリ・タウモエフォラウをフォローし、朽木が再びトライを挙げた。

 後半も相手エースWTBデイヴィッド・キャンピージにタックルをお見舞いするなど、朽木は最後まですばらしい闘志を見せた。試合は23-42で敗れたものの、世界の強豪と戦える姿を示すことができた。

 大一番での活躍によって、朽木は日本代表に欠かせぬCTBとして定着する。1989年5月28日には「宿澤ジャパン」の一員として平尾とCTBコンビを組み、スコットランドを28-24で倒す歴史的快挙にも大きく寄与した。

 1990年のワールドカップ予選でも活躍した朽木は、1991年ワールドカップのスコッドにも選ばれる。日本待望のワールドカップ初勝利となったジンバブエ戦(52-8)でも、朽木は大舞台での強さを発揮して2トライを奪った。

 なお、朽木が挙げたワールドカップ通算4トライは、2019年にWTB松島幸太朗(6トライ)に抜かれるまで20年以上にわたって日本代表の最多トライ記録だった。

 日本屈指のCTBは1962年、福井県高浜町で3兄弟の長男として誕生。ふたりの弟・泰博(元・トヨタ自動車)と雅文(現・若狭東高ラグビー部監督)もラグビー選手として活躍し、地元では「朽木3兄弟」としてよく知られていた。

 ラグビーを始めたのは若狭農林高(現・若狭東高)の入学後から。高校3年時には「花園」全国ラグビー大会に出場し、福井県勢として初のベスト16進出を果たした。しかし全国的に見れば、まだ朽木は無名選手だった。

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