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ラグビー日本代表の新世代SOは「早慶戦で一度も勝てなかった男」 25歳「いちご」の本心 (2ページ目)

  • 齋藤龍太郎●取材・文 text by Saito Ryutaro

【悔しい思い出はキリがない】

 中楠は3歳でラグビーを始め、國學院久我山高校では2年時に花園(全国高校ラグビー大会)に出場。その後、日本ラグビーのルーツ校・慶應義塾大学での活躍を経て、現在はリーグワン・ディビジョン1のリコーブラックラムズ東京で活躍中の25歳だ。

 高校日本代表、昨秋の日本代表初招集、そして今回の宮崎合宿参加に至るまでのキャリアからは、華やかなエリートコースを歩んできたようにしか見えない。だが、思うように勝てなかった時代も、メンバーに選ばれなかった経験もある。

 慶應義塾大時代は1年時から活躍しながら大学日本一に届かず、伝統の早慶戦でも一度も勝てなかった。ただ、その4年間にこそ大きな学びがあった、と中楠は回想する。

「常勝チームではなく(強豪大学に)挑んでいくチームだったので、悔しい思い出を挙げるとキリがありません。ただ、今の自分の礎(いしずえ)となっている状況判断、ゲームメイク、特にキックを使ったプレーなどは、慶應というチームだったからこそ培えたものだと思います。慶應で出会ったみなさんの教えがあって、今の自分がいます」

 6月1日の決勝をもって閉幕したリーグワン2024-25では、開幕からブラックラムズの司令塔として公式戦全18試合中14試合に先発出場した。しかし、シーズン終盤はメンバーから外され、ライバルのSO/FB伊藤耕太郎(中楠の一学年下。明治大卒。6月22日にJAPAN XV選考対象選手として宮崎合宿に追加招集)に10番の座を譲る形になった。

「シーズンの最後のほうは、セレクションから外れて試合に出られない時期を過ごしました。自分のプレーには自信があったのですが、チーム内の競争はもちろん、昨秋以降は代表のセレクションのことなど多くを考えすぎて、自分以外のことにベクトルが向いていたと気づきました」

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