堀越正己は糸を引くような美しいパスで日本ラグビーを席巻 身長158cmでも「僕に居場所を教えてくれた」 (2ページ目)
【将来の夢はプロ野球選手】
早明戦を制したあとも、早稲田大の勢いは止まらない。大学選手権では同志社大に19-10で勝利し、さらに日本選手権でも東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス東京)を22-16で下して日本一に輝いている。
1980年代後半の「早明戦」は、まさに人気絶頂だった。堀越は大学4年間の早明戦すべてに先発し、明治大のキャプテンも務めたライバル吉田との対決は、今でも多くのラグビーファンの心に残っている。
堀越は当時を振り返り、「雪の早明戦を見てラグビーを始めた、勇気をもらったと言われた。少なからず(ラグビーで)勇気を与えられていたのかな」と目を細めた。
東京生まれ、埼玉・熊谷育ちの堀越は、小学校時代はソフトボール、中学校時代は野球に専念し、将来の夢はプロ野球選手だった。ただ、体が小さかったことで野球の強豪・熊谷商業への進学を断念し、「手に職をつけて就職したい」と熊谷工業に入学。そこでラグビーに出会った。
入部当初、堀越はSOをやりたかった。しかし、ラグビーでも体が小さい理由から、小柄でも活躍できるSHのポジションに指名された。
「体幹を鍛えられたり、スナップが強かったり、空間察知能力が身についたりして、ラグビーをやる前に野球をやっていてよかった」
ただ、当初はパスもあまり上手ではなく、パスミスを犯したくないため、相手FWのサイドに潜ってばかりいたという。そのプレーを見て熊谷工・森喜雄監督は、モグラにちなんで「モグ」という愛称をつけた。
高校からラグビーを始めた堀越は、一刻も早く周囲のレベルに追いつくために、塚田朗BK担当コーチ(のちに熊谷工監督)の指導の下、足腰を鍛えて地道にパス練習を繰り返した。その練習の積み重ねが、堀越のパッサーとしての土台となったのは間違いない。
「速くて、長くて、軽くて、取りやすいボール......というイメージを持てるようになった」
高校3年時、堀越は「花園」全国高校ラグビー大会でチームの準優勝に貢献。さらに高校日本代表にも選出されるほど急成長を遂げた。
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