ラグビー元日本代表主将・堀江翔太「キャプテンシー全然ないんです(苦笑)」引退を機に振り返るプロ生活 (3ページ目)
――15年間プレーしたワイルドナイツに残せたものは?
ワイルドナイツでは先輩も含めて、選手たちがラグビーをすごく楽しんでいる。そのベースは忘れてほしくないですし、ラグビーの前に人としてちゃんとしないとあかんという文化があります。僕は言葉を多くしゃべるより、常に行動で後輩のしっかりとしたモデルになろうと思っていました。そのあたりは後輩たちがうまく掬い取ってくれていたら嬉しい。だから、恥じない行動をすること、そして先に何かを言う前に、自分がまずやるという部分はピッチ内外で残せたかなとは思います。
――ワイルドナイツの若い選手に聞くと「堀江選手は怖かった」という人が多いです。
みんなそう言います(笑)。1年目の選手に僕が喋ってもビビるだけだし、どっかのタイミングで喋る機会があれば話すようにしていました。あとは周りを、チーム全体を結構見ていて、ラグビーできる、できないではなく、人として見ています。そして言わなければできない人には言うようにしていました。
――ワイルドナイツ、サンウルブズ、日本代表でもキャプテンを歴任した堀江さんはリーダーとして前に出て、引っ張っていくタイプではなく、気遣いの人というイメージがあります。
キャプテンシー、ないんですよね(苦笑)。マジで全然なくて、中間管理職みたい。でもそれがリーダーかなと言われれば、リーダーです、となっていました。先頭に立って後ろを引っ張るというイメージではなく、いつも選手の中心にいるという感じ。みんなで、しっかりやっていこう!というのが僕のキャプテンシーかなと思います。
――堀江さんはワイルドナイツでトップリーグとリーグワンを通じて、最多となる年間MVPを3回受賞しましたね。
マジで、もっとそれを言ってほしいですよね! 引退する時に、後輩が僕の経歴がいろいろ書いてあるTシャツを作ってくれた。それを着た後輩の背中を見たら、「ベスト15」とかMVPとか、いろいろすごいなと思いました! だから、やっぱりもっと称えられてもいいんじゃないかなと思っています(笑)。
後編>>堀江翔太が現役引退を決めた理由
■Profile
堀江翔太(ほりえしょうた)
1986年1月21日生まれ、大阪府吹田市出身。帝京大学ラグビー部では4年時に主将を務め、2008年卒業後、三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック ワイルドナイツ)に所属し、翌年には日本代表で初キャップを飾ると、トップリーグでもベスト15に選出されるなど活躍。2011年ラグビーワールドカップから2015年大会、2019年大会と3大会連続で日本代表に選出される一方、2013年にはスーパーラグビーのレベルズに入団するなど、海外でも活躍の場を広げた。2022年にはパナソニック ワイルドナイツがジャパンラグビーリーグワンの初代王者となり、MVP、ベスト15、そして選手が選ぶプレーヤー・オブ・ザ・シーズンを受賞した。2024年6月22日の試合をもって現役を引退した。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
【画像】笹崎里菜アナ&忽滑谷こころアナ(日本テレビ)「日テレ女子アナラグビー部」インタビューカット
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