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引退したラグビー日本代表・堀江翔太、歴代指揮官との関係性を明かす「最初はやり方があまり好きじゃなかった」HCとは (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

――そこからちょっとずつ信頼を回復したわけですね。

 そこからはもう、なんとかプレーで頑張りました! だからホンマに不思議なもので、2019年W杯もそうだったし、2015年W杯前もエディーさんと選手の仲が荒れていた時期もあったけど、大会前、最後に選手さえひとつの方向に全員が向いていれば、結果はついてくると感じています。そこは日本代表の強みなのかなと思います。

―― 今から2023年W杯を振り返ると?

 最後はいいチームになったと思いますが、あえて言うなら2015年、2019年W杯で結果を出しすぎちゃって、相手も危機感持って試合をするし、しっかり分析してきた。対戦相手のメンバーを見ても隙を作らなくなったし、やっと日本のラグビーが認められたかな。でも(予選プール2戦目の)イングランド代表戦は、あのヘディング(のトライアシスト)がなかったら絶対、流れがこっちに来る時間があった。あの(PRジョー・マーラーの)ヘディングで流れを全部、持っていかれましたね。

――W杯に4回出場した堀江さんが、日本ラグビー、日本代表に残せたものは?

 2011年大会は若すぎて、日本代表へのプライド、どれだけ日本を背負って戦うかがわかっていなかったですが2015年、2019年、2023年とその思いがどんどん強くなっていった。日本代表は特別なチームでW杯の大切さは、ずっと言葉に出していましたし、身をもって行動に移していたと思います。それはワイルドナイツでも日本代表でも変わらない。僕は行動で示して、それをどう受け取るかは後輩の選手次第だと思います。僕は後輩の口を開けて無理やり餌を押し込むように、バンバンしゃべって、リーダーシップを取って、というようなことはしなかった。みんなでラグビーするんだぞ!ということを見せたかった。ラグビーは(グラウンドに)15人もいるので、みんなでやらんと絶対に無理。行動とコミュニケーションを取りながらやるという部分は、ワイルドナイツでも日本代表でもやっていたことです。

――堀江さんはよく「セイムページ(同じ画)」という言葉を常に発していました。

 そうですね。日本代表はコンバインドチームなので、常にセイムページを持たないといけない。同じチューリップを描くにしても、色が違うだけで全然違ってくる。そこはしゃべらんとわからない。実際にやろうとすると難しい。プレー中に、コミュニケーションを癖づけて、習慣化する練習ができれば、どのチームも絶対に強くなると思います。

後編>>堀江翔太が現役引退を決めた理由
 
■Profile
堀江翔太(ほりえしょうた)
1986年1月21日生まれ、大阪府吹田市出身。帝京大学ラグビー部では4年時に主将を務め、2008年卒業後、三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック ワイルドナイツ)に所属し、翌年には日本代表で初キャップを飾ると、トップリーグでもベスト15に選出されるなど活躍。2011年ラグビーワールドカップから2015年大会、2019年大会と3大会連続で日本代表に選出される一方、2013年にはスーパーラグビーのレベルズに入団するなど、海外でも活躍の場を広げた。2022年にはパナソニック ワイルドナイツがジャパンラグビーリーグワンの初代王者となり、MVP、ベスト15、そして選手が選ぶプレーヤー・オブ・ザ・シーズンを受賞した。2024年6月22日の試合をもって現役を引退した。
 

著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

【画像】笹崎里菜アナ&忽滑谷こころアナ(日本テレビ)「日テレ女子アナラグビー部」インタビューカット

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