「下川甲嗣がボールを持ったらスローモーションに見える...」幼少時に言われたひと言が日本を代表するフォワードを生んだ (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

── 中学時代のラグビーの成績はどうでしたか?

「中学時代はスクールのチームが強かったので、九州大会で優勝して太陽生命カップにも出場して準優勝しました。その後、全国ジュニアに向けて福岡県選抜のセレクションを受けたんですが......落ちました(笑)。

 その福岡県選抜には、今サンゴリアスで同期のFL箸本龍雅(東福岡高→明治大)やSH(スクラムハーフ)神田悠作(東筑高校→東洋大学→九州電力)、CTB(センター)鬼木崇(修猷館→慶應義塾大)などが選ばれて全国優勝していました」

── その頃は将来、日本代表になりたいと思っていましたか?

「まったく思ってなかったです。日本代表の試合も見ていませんでしたから(笑)。トップリーグですら、地元のコカ・コーラや九州電力の試合の招待券をもらった時に見に行く程度。あとは日本選手権をテレビで見るくらいでした」

── 高校に進学する時、福岡と言えばラグビー強豪校の東福岡が有名ですが、下川選手はお兄さんと同じ進学校の修猷館(しゅうゆうかん)を選びました。

「7つ上の兄が卒業生だったので、昔から修猷館に憧れていたんです。中学校の福岡県選抜に落ちてしまった悔しさもあったので、高校でもラグビーを続けたいとは思っていました。

 勉強を頑張って中学校の校内推薦をもらえたので、推薦入試でギリギリ合格することができました。東福岡に誘われることはなかったので、普通に一般受験して合格しました。もし修猷館に落ちたら、東福岡でラグビーを頑張ろうと思っていました」

── 修猷館は2014年、東福岡に勝利したこともありましたよね。

「僕が入学してすぐの県大会(準々決勝)でヒガシ(東福岡)に勝ったんです! 僕はまだ1年生だったので、その試合ではボールボーイをやっていました。

 その年の秋の花園予選決勝ではヒガシにボコボコにされましたけど、僕はNo.8のポジションで試合に出ました。そして2年生になった翌年、花園は記念大会でふたつ出場枠があったんですが準決勝で筑紫に負けて、3年生の時も準決勝で東海大福岡に負けてしまいました。

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