五郎丸は日本での放送時間を気にしていた「サモア戦がラストチャンス」 (3ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 築田純●撮影 photo by Tsukida Jun

――"エディー・ジャパン"ってどんなチームだったのでしょうか。

「ほんとうにみんながチームのために自分の力を出し切っている感じでしたね。あとはやっぱり、ワールドカップに行ったメンバーだけじゃなく、行けなかったメンバーに対する気遣いもできるようなチームで。"あいつのためにもっと頑張らないといけない"といった気持ちが自然と出てくるチームでしたね」

――そういえば、ワールドカップメンバーに漏れた選手も試合前のモチベーションビデオに登場していたそうですね。

「そうですね。やはり日本代表って憧れの存在にならないといけないんです。チームスローガンで『憧れの存在になる』というのを掲げた年もありました。憧れのチームはみんなが応援してくれるんです。廣瀬(俊朗)さんや菊谷(崇)さんが中心となって、国内の自分たちの所属チームだったり、選考に漏れた選手だったり、あとはラグビーファンのメッセージをミックスした映像をつくってくれたんです。いろんな人に支えられてプレーしているんだということを感じていました」

――そういう思いがあって、米国戦の後の会見で、「ラグビーにヒーローはいない。みんながヒーロー」と言ったんですね。いいフレーズです。

「そうですね。試合に出ている人もいますけど、ほんと苦しくて、チームのためにからだを張り続けて、身も心も削られた選手っていっぱいいたんです。ジグソーパズルの一片じゃないですが、いろんな人の力があって、自分たちが戦えたんだという思いが強かったのかもしれません」

――ワールドカップで得たものは。

「一番は日本人でもできるということです。たぶん、ラグビーをやっている人はそれをすごく思ったんじゃないでしょうか。それまでは、僕も子どもの頃はそうでしたけど、日本人は弱い、海外では戦えない、とずっと思い込んでいたんです。そんな固定観念を壊したチームだったと思います」

――あの大会で人生変わりましたか。

「変わりましたね。やっている時はまったく考えてなかったけれど、終わり(代表引退)を決めていたし、頑張ろうと腹をくくっていましたから」

――どんな時間でしたか。

「もう楽しくてしょうがなかったですね。からだはしんどかったですけど、ほんと、毎日毎日が楽しくて」

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