「アジア人なんかに負けるか」ラクロスの元日本代表・山田幸代が語る競技人生 オーストラリアのトライアウトでは「パスがもらえなくなったりもしました」

  • 永塚和志●取材・文 text by Nagatsuka Kaz

山田幸代さんはプレーヤーとしての経験を活かし、普及・発展に励んでいる photo by Murakami Shogo山田幸代さんはプレーヤーとしての経験を活かし、普及・発展に励んでいる photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る

山田幸代インタビュー(前編)

 2023年10月、国際オリンピック委員会(IOC)は2028年ロサンゼルス五輪の正式競技として5種目の追加を承認した。そのうちのひとつがラクロスだ。ラクロスがオリンピック競技に正式採用されるのは1908年ロンドン大会以来、120年ぶりのこととなる。

 今回は2007年に日本人初のプロ選手となり、オーストラリアリーグでプレーしかつ同国代表としてワールドカップにも出場している山田幸代さんにインタビューを行なった。

 山田さんには自身のラクロスとの出会いや競技の魅力、世界ラクロス協会のメンバーとして6人制競技「シクシーズ」のルール策定等に携わりオリンピック採用に大きく貢献したことなど、幅広く話を聞いた。

【ラクロスとはどんな競技?】
 クロスと呼ばれる先に網のついたスティックを用いて硬質ゴム製のボールを奪い合い、相手陣のゴールにボールを入れて得点を競う、ネイティブアメリカン発祥とされるスポーツ。10人制(国際ルール)は、男女でルールに違いはあるものの、両方とも10対10で、1クオーター15分、計4クオーターで行なわれる。長さ100〜110m、幅50〜60mというフィールドサイズも共通。男子ではボディチェック(身体接触)が許されるため、選手は防具を装着する。2028年ロサンゼルス五輪で採用される6人制(シクシーズ)は長さ70m×幅36mのフィールドで行なわれ、時間は8分×4クオーターとなっている。

【中高時代はバスケットボールに熱中】

――まずは山田さんがラクロスに出会うまでのスポーツ歴をお聞かせください。

「私、めちゃくちゃ運動神経が悪くて、小学生のころは駆けっこでも最下位とかだったんです。それでも卓球や剣道、水泳、バドミントン、野球などいろいろやって、スポーツ以外では習字、ピアノもやっていました。どれも三日坊主といわれるくらい短い期間しかやっていなかったのですが、バドミントンと水泳だけは続けました。

 中学からはいとこの影響もあり、バスケットボールを始めました。中高はバスケットボールだけをやっていたという感じです」

――バスケットボールは中学からと比較的遅く始めたにもかかわらず、長浜北高(滋賀)では3年連続でウィンターカップ(全国高等学校バスケットボール選手権大会)出場という経歴も目を引きます。

「いろんな人に出会えて、運が良かったと思います。中学は弱小チームだったのですが、強豪チームと対戦して相手に100点くらい差をつけられても、楽しそうにバスケットをしていたようです。その姿が印象的で必要な選手だ、とスカウトに来ていた高校の先生が言ってくれて。それで推薦してもらったんです」

――「必要な選手」とはどういう意味だったのでしょう。

「マンガ『スラムダンク』でいうと多分、私、海南高の神宗一郎みたいな感じで、シュートだけはすごい好きでしたし、ボールを最後まであきらめないで追い続けたり、負けていても笑ってプレーできていたことで、コートのみんなを盛り上げることができる部分が評価されたのかなと思います」

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著者プロフィール

  • 永塚和志

    永塚和志 (ながつか・かずし)

    スポーツライター。前英字紙ジャパンタイムズスポーツ記者。Bリーグ、男女日本代表を主にカバーし、2006年世界選手権、2019W杯等国際大会、また米NCAAトーナメントも取材。他競技ではWBCやNFLスーパーボウル等の国際大会の取材経験もある。著書に「''近代フットボールの父'' チャック・ミルズが紡いだ糸」(ベースボール・マガジン社)があり、東京五輪で日本女子バスケ代表を銀メダルに導いたトム・ホーバスHC著「ウイニングメンタリティー コーチングとは信じること」、川崎ブレイブサンダース・篠山竜青選手 著「日々、努力。」(ともにベースボール・マガジン社)等の取材構成にも関わっている。

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