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NBA伝説の名選手:アンファニー"ペニー"・ハーダウェイ 世界中のファンを虜にした魅惑の長身ポイントガードの輝きと影 (3ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【ケガでキャリアが暗転も全盛期の輝きは今も変わらず】

 するとシャックは1996年夏にFA(フリーエージェント)でロサンゼルス・レイカーズへ移籍。マジックはハーダウェイ中心のチームとなって1996-97シーズンの開幕2、3戦目にはジャパンゲームズでニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツに2連勝を飾るも、その後"エース"が左ヒザの関節鏡手術を受けて離脱することになる。

 マジックは1997、1999年にハーダウェイ中心の体制でプレーオフへ進むも、どちらも1回戦敗退。それでも、1997年は2連敗で追い込まれた第3戦で、ハーダウェイがプレーオフ自己最多の42得点、続く第4戦でも41得点の大活躍を見せて2連勝。逆王手に持ち込む。第5戦で敗れたとはいえ、ハーダウェイ自身は33得点の大暴れで相手を震え上がらせた。

 だが、相次ぐヒザのケガが身体を蝕み、全盛時のキレは失われていったハーダウェイ。1999年夏のトレードでフェニックス・サンズへ移籍すると、ペニーの立ち位置はスーパースターから先発の一角、シックスマン、ベンチプレーヤーへと変わっていき、2007年12月にマイアミ・ヒートからウェイブ(保有権放棄)されて表舞台から去った。

 レギュラーシーズン通算704試合出場でキャリア平均15.2得点、4.5リバウンド、5.0アシスト、1.6スティールをマーク。オールスターに4度、オールNBAチームに3度選ばれ、マジック時代の1990年代中盤はリーグを代表するスーパースターのひとりだったことは誰もが認めるところだ。

 得点・リバウンド・アシストの3拍子そろったオールラウンダーとして一世を風靡した長身PGは、甘いルックスとしなやかな肢体から繰り出すノールックパスや鋭いパスさばき、豪快なダンク、ポストプレーで見せる華麗なステップワーク、流れるような美しいジャンパーなど、どれも華やかでシルエットも絵になった。

 2017年1月。ハーダウェイはマジックで球団殿堂入りを果たし、2023年12月末には2024年のバスケットボール殿堂入りの追加候補としてノミネートされた。現在は母校の指揮官を務める男は、2021年に『スポーツ・イラストレイテッド』とのインタビューでこう話していた。

「選手として、私はおそらくトッププレーヤーのひとりではありません。ケガをしてしまいましたから。けど、歴代屈指の選手のひとりなんだと知らしめるために十分やっていました」

 一時はNBAチームの新たな指揮官候補にも挙がっていたハーダウェイは、Xアカウントで約10.9万人、インスタグラムでは約46.4万人のフォロワーがいるように今でも人気を博している。

 相次ぐヒザのケガによって全盛時こそ短期間に終わってしまったが、"ペニー"のプレーには華があり、観たことがある人ならば誰もが一度は酔いしれたはず。引退から15年以上が経ってもSNSで定期的にハイライトが流れていることは、この男がどれだけ愛されているかを十分に表わしていると言っていいはずだ。

【Profile】アンファニー"ペニー"・ハーダウェイ(Anfernee"Penny" Hardaway)/1971年7月18日生まれ、アメリカ・テネシー州出身。1993年NBAドラフト1巡目3位(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)。
●NBA所属歴:オーランド・マジック(1993-94〜1998-99)―フェニックス・サンズ(1999-2000〜2003-04途)―ニューヨーク・ニックス(2003-04途〜2005-06)―マイアミ・ヒート(2007-08)
●NBAファイナル進出1回: 1995年/オールNBAファーストチーム:2回(1995、1996年)
●五輪代表歴:1996年アトランタ大会(優勝)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

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