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NBA伝説の名選手:ホーレス・グラント 歴史に残るスーパースターの成長に欠かせなかった最高のロール・プレーヤー (2ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【ブルズ3連覇時をはじめ自身の地位をNBAで確立】

 ブルズに入団した当初、グラントと同じポジションにはリバウンドで絶対的な強さを持ち、ジョーダンからの信頼度も厚かったチャールズ・オークリーがいた。しかし、ルーキーシーズン終了後にオークリーがニューヨーク・ニックスにトレードされたことにより、グラントは2年目から先発の座に定着。ドラフト同期のピッペンと構成するフォワード陣として成長し続けたことにより、ブルズは、NBA3連覇を目指していた宿敵デトロイト・ピストンズをカンファレンス決勝で倒し、1991年から3連覇達成するのに貢献したのである。

 グラントはオールディフェンシブ・セカンドチームに4度選出されるなど、すばらしいディフェンスと泥臭い仕事でチームを支えるタフなビッグマンとして、ジョーダンとピッペンを支えた。しかし、ディフェンスのスペシャリストというわけではなく、中距離のジャンプショットを着実に決めるなど、オールスターに選ばれた1993−94シーズンの15.1得点を最高に、9シーズン連続(1988-89~1997-98)で12得点以上のアベレージを記録している。

 チームを勝利に導くプレーができるバスケットIQの高さも、グラントの強みだった。特に印象的だったのはフェニックス・サンズを倒し、3連覇を果たした1993年NBAファイナルの第6戦。2点ビハインド、試合時間残り数秒の土壇場でジョン・パクソンが逆転の3Pショットを決める直前、グラントはドライブしたピッペンからゴール近くでボールをもらった。そのとき、ヘルプディフェンスが来たこと(自分をマークしている選手以外の選手がやって来てふたりがかり守ろうとすること)を瞬時に、冷静に察知すると、オープンになっていたパクソンを見つけアシストしたことだ。そのプレーはまさにグラントが賢い選手であること、そしてチームメイトを信頼していることを証明するプレーだった。

 1980年代、マジック・ジョンソンを軸にショータイムと呼ばれたロサンゼルス・レイカーズとラリー・バードを擁したボストン・セルティックスがNBAを牽引。この2チームを倒したあとにピストンズが2連覇を成し遂げたが、3連覇を達成することはできなかった。

 それゆえ、レイカーズ、ブレイザーズ、サンズを倒しての3連覇に貢献したグラントは、その道のりの大変さを次のように語っている。

「最初のチャンピオンシップを獲得したあとは、対戦したどのチームよりも2倍、時には3倍以上タフに戦わなければならなかった」

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