NBA伝説の名選手:ダーク・ノビツキー「ビッグマンの概念を覆したドイツ出身の超高性能スコアラー」 (3ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【必殺ジャンパーとバスケグローバル化の役割】

 ジャンプシュートやドライブ、ポストプレーなど多彩な得点方法を誇ったノビツキーが、キャリア中盤にアンストッパブルなスコアラーへ昇華したのは "ワンレッグ・フェイダウェイジャンパー"をマスターしたからだ。

「重要なのは、バランスとコートビジョン。それさえあれば、覚えるのはそんなに難しくない」と語った自身の代名詞とも言える「シグネチャームーブ」は、片足で跳び上がってからフェイダウェイジャンパーを放つことで相手との間にスペースを作り出し、ブロックをほぼ不可能にするショット。ノビツキーの高さとシュート力を最大限に活用したスキルで、2011年の優勝に不可欠な「リーサルウェポン」だった。

 ノビツキーの背番号41は、2022年1月にマブスの永久欠番となり、同年12月末にはマブスの本拠地にワンレッグ・フェイダウェイジャンパーの彫像がお披露目。また、同年9月にはドイツ代表で着用してきた背番号14も永久欠番となっている。

 NBAで外国籍出身選手として歴代最高級の実績を残し、ドイツ代表でも2002年のFIBA世界選手権(現ワールドカップ)で銅メダル、2005年のユーロバスケットで銀メダルを獲得して大会MVPに輝き、2008年には北京オリンピックにも出場したノビツキーは、自身のキャリアをこう話す。

「私にはふたつの大きな夢があった。NBAチャンピオンになることと、オリンピックの試合でプレーすること。その両方を達成できた。本当に素晴らしい旅になった」

 引退後も2019年ワールドカップでグローバル・アンバサダーをこなすなど忙しい日々を送るノビツキーは、パリ五輪でも会場へ足を運んでドイツ代表の試合をはじめとする国際大会を現地で見届けていた。

 申し分ない実績に加え、ノビツキーは的確かつ相手をリスペクトするコメントや振る舞いにも定評があるため、今後もバスケットボールのグローバル化を助けていくことだろう。


【Profile】ダーク・ノビツキー(Dirk Nowitzki)/1978年6月19日生まれ、ドイツ・バイエルン州出身。1998年NBAドラフト1巡目9位指名(ミルウォーキー・バックス)
●NBA所属歴:ダラス・マーベリックス(1998-99〜2018-19)
●NBA王座1回(2011)/シーズンMVP1回(2007)/ファイナルMVP1回(2011)/オールNBAファーストチーム4回(2005〜07、09)
●五輪代表歴(ドイツ):2008年北京五輪(予選リーグ敗退)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

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