NBA伝説の名選手:ダーク・ノビツキー「ビッグマンの概念を覆したドイツ出身の超高性能スコアラー」 (2ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【マブスの代名詞としての栄華を誇る】

 するとノビツキーは1998年のドラフト1巡目9位でミルウォーキー・バックスから指名され、トレードでダラス・マーベリックスへ移籍。ロックアウトで50試合の短縮となった1年目の1998-99シーズンこそ平均8.2得点、3.4リバウンドと目立たなかったが、同じ98年にチームにやって来たスター選手のスティーブ・ナッシュ(元サンズほか)と猛練習に励み、ドン・ネルソンHC(ヘッドコーチ)の下でオフェンスを重点に置くマブスへ次第に馴染んでいく。そして3年目の2000-01シーズンには平均20.0得点の大台を突破して主軸へ成長していった。

 2001年からプレーオフ常連チームと化したマブスは、2004年夏にナッシュ、翌2005年には得点源マイケル・フィンリー(元マブスほか)も退団するなか、進化を続けるノビツキーは2005-06シーズンにキャリアハイの平均26.6得点をマーク。

 このシーズン、マブスは球団史上初のNBAファイナル進出。マイアミ・ヒートに2勝4敗で敗れるも、翌2006-07シーズンには球団史上最高成績となる67勝15敗(勝率81.7%)を残し、ノビツキーがヨーロッパ出身選手として初のMVPを受賞した。

 2007年のプレーオフでは、恩師ネルソン率いるゴールデンステイト・ウォリアーズ相手にまさかの1回戦敗退。その後もプレーオフを勝ち上がれずにいたのだが、マブスはノビツキー中心のチームづくりを続けていき、2011年に再びNBAファイナルに辿り着くと、ヒートとのファイナルを4勝2敗で制して球団史上初優勝を成し遂げ、自身はファイナルMVPにも選ばれた。

「2011年の私は、最後の局面でも(チームに)必要とされるフィニッシャーだった。2006、07年の頃はビッグショットを決められる選手には達していなかったんだ。そこから数年、優勝候補と呼ばれながら味わい続けてきたことは楽しいものではなかったけど、それも私の旅の一部。そうした経験が私を選手、人間の両面で高めてくれたことは確かだね」

 のちにノビツキーはキャリア最高の瞬間とも言える初優勝をそう振り返る。

 その後マブスはプレーオフ1回戦を突破できず、ノビツキーも2018-19シーズン終了後に現役を引退。最後のシーズンにはルカ・ドンチッチと共闘し、後輩へバトンを託した。

 213cm・111kgのノビツキーは、キャリア21シーズンのうち実に13シーズンで平均20.0得点以上を記録。同一チームでNBA入りから21シーズン在籍は歴代最長で、レギュラーシーズン通算出場試合数(1522)と出場時間数(5万1368分)はいずれも4位、3万1560得点は6位で、いずれも外国籍出身選手としてトップに君臨している。

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