NBA伝説の名選手:カール・マローン パワーフォワードの概念を変えた 「メールマン」の功績 (3ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【NBA王座を手にできずも完全燃焼】

 2003年にストックトンが現役を引退すると、フリーエージェントとなっていたマローンはロサンゼルス・レイカーズと契約。2000年から3連覇を経験したシャキール・オニールとコービー・ブライアントに加え、マローン同様NBAタイトルに縁のないスターガードのゲーリー・ペイトンを擁するチームは2003―04シーズン、文句なしの優勝候補だった。

 サンアントニオ・スパーズの2連覇を阻止し、ミネソタ・ティンバーウルブズを倒したレイカーズは、NBAファイナルでデトロイト・ピストンズと対戦。解説者やメディアの多くはレイカーズが圧倒的に有利と予想していたが、強固なディフェンスとチームとしての完成度が高いピストンズに1勝4敗という結果に終わった。

「私はチャンピオンシップリングを勝ち取るためにロサンゼルスへ行き、あと少しで手にできるところだったが、結局手に入らなかった。そういうこともある。いつもおとぎ話のような結末になるわけではない」と語ったマローンは、第3戦で右ひざを痛めてしまい、第5戦は私服姿でピストンズの優勝を見届けることになった。

 2004年の夏に右ひざを手術したマローンは、現役続行に意欲を示していた。ニューヨーク・ニックスやスパーズと契約するという憶測も出たが、2005年2月13日に引退を発表。2006年3月23日、マローンの背番号32はジャズの永久欠番となり、本拠地のデルタセンターには、マローンの功績を称えて銅像が建てられている。

「私はすばらしいキャリアを積んできたし、自分が成し遂げたことに誇りを持っている。しかし、もう前に進んで家族と過ごす時間だ。後悔はない。私は全力を尽くしてこのゲームに臨んできたし、全力を尽くしたという気持ちで去ることができる。すばらしい旅だったが、人生の次の章を始める時が来たのだ」

 オフコートでのマローンは、大型トレーラーの運転、狩猟やフィッシングが好きだったことで有名。1998年のNBAファイナル後にはプロレスのタッグマッチでブルズの異端児、デニス・ロッドマンと対戦し、ペイパービューの購入者数が58万を数えた。

現役引退後はユタ州とルイジアナ州で自動車販売店を経営するなど、実業家としてのキャリアを送っている。


【Profile】カール・マローン(Karl Malone)/1963年7月24日生まれ、アメリカ・ルイジアナ州出身。1985年NBAドラフト1巡目13位指名。
●NBA所属歴:ユタ・ジャズ(1985-86〜2002-03)―ロサンゼルス・レイカーズ(2003-04)
●NBAファイナル進出3回(1997、98、2004)/シーズンMVP2回(1997、99)/オールNBAファーストチーム11回(1989〜99)/オールスターMVP2回(1989、93)
●五輪代表歴:1992年バルセロナ五輪(優勝)、1996年アトランタ五輪(優勝)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 青木 崇

    青木 崇 (あおき・たかし)

    1968年群馬県前橋市生まれ。1992年から月刊バスケットボールとHOOP誌の編集者を務めた後、1998年に独立して渡米。アメリカ・ミシガン州を拠点にNBA、NCAA、数々のFIBA国際大会を取材。2011年から拠点を日本に戻して活動を続け、Bリーグの試合で解説者も務めている。

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