NBA伝説の名選手:カール・マローン パワーフォワードの概念を変えた 「メールマン」の功績 (2ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【ストックトンとNBA屈指のコンビで活躍】

1993年、地元で開催されたオールスターでは盟友ストックトン(右)とともにMVPを獲得 photo by Getty Images1993年、地元で開催されたオールスターでは盟友ストックトン(右)とともにMVPを獲得 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る マローンは3年目以降、司令塔でNBA史上最多アシスト数の記録を持つジョン・ストックトンとのコンビでオフェンスを牽引。このコンビによるピック&ロールは止めるのが非常に難しく、ジャズが15シーズン連続でプレーオフ進出を果たす強豪であり続ける要因となっていく。1993年にジャズの地元ソルトレイクシティで行なわれたオールスターゲームでは、ストックトンと一緒にMVPに選出された。

 NBAのスーパースターとなったマローンは、1992年のバルセロナ五輪で世界中のスポーツファンを魅了したドリームチームのメンバーとして、金メダルを獲得。4年後のアトランタ五輪でもアメリカの2連覇に貢献した。1997年のオールスターウィークエンドではNBAの偉大な選手50人に選ばれ、1996−97シーズンにはレギュラーシーズンのMVPを受賞している。

「私は長い間このリーグにおり、ようやくここまで到達できたことは特別なことだ。しかし、終わりではない。最終的な目標はチャンピオンシップを勝ち取ることなんだ」

 数々の功績を残したマローンはこう語っていたが、NBAの頂点に立つという夢を叶えることはできなかった。1992年、1994年、1996年と3度カンファレンス・ファイナルで敗れていたジャズは、1997年にヒューストン・ロケッツを倒して初のNBAファイナル進出を果たした。しかし、マイケル・ジョーダンを擁するシカゴ・ブルズに経験の差を見せつけられ、2勝4敗で優勝を手にすることができなかった。

 翌年もウエスタン・カンファレンスを勝ち上がってきたジャズは、再びブルズとNBAファイナルで対戦。マローンはデニス・ロッドマン相手に激しい攻防を繰り広げ、王手をかけられていた敵地での第5戦で39得点の大爆発。残り2試合をホームで戦えることになったジャズは、1勝3敗から巻き返しての初優勝に希望の光が灯ったかと思われた。

 地元ソルトレイクシティでの第6戦は、リードが変わること8回、同点が18回という激戦に。マローンは31得点とチームを牽引し、第4クォーター残り42秒にストックトンが勝ち越しとなる3Pショットをアシストしていた。しかし、1点リードで迎えた残り19秒、ジャズは得点できれば勝利に大きく前進できたのだが、ポストアップでボールを持っていたマローンは、背後からジョーダンにスティールされる痛恨のターンオーバー。残り5秒でジョーダンに逆転のジャンプショットを決められてしまう。「あんな負け方をするのはつらい。特に2年連続だと。全力を尽くしたけど、ボールが思いどおりに弾まないこともある」と語ったマローンとジャズのNBA初制覇の夢は、砕かれたのである。

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