NBA伝説の名選手:トニー・パーカー「フランスからNBA常勝軍団で主力の座を勝ち獲ったフローターの達人」 (2ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【スパーズ、フランス代表で永久欠番に】

 キャリア最初の17シーズンをスパーズ、最後の2018-19シーズンを憧れのジョーダンがオーナーを務めていたシャーロット・ホーネッツでプレーし、2019年6月に引退を表明。オールスターに6度、オールNBAチームに4度選出というすばらしいキャリアを送った。

 NBAの18シーズンでレギュラーシーズン通算1254試合へ出場したパーカーは、キャリア平均15.5得点、2.7リバウンド、5.6アシストにフィールドゴール成功率49.1%をマーク。スコアリングガード全盛の現代PGたちと比較すると、3ポイント試投数のキャリア平均が1.3本、成功率も32.4%と物足りなく映るかもしれない。

 しかし、この男には電光石火のクイックネスとスムーズなボールハンドリング能力が備わっていた。ダンカンと3ポイントライン付近で仕掛ける"ハイピック&ロール"も効果絶大で、パーカーは面白いように相手守備陣の合間を縫うようにドライブしていった。

 ミッドレンジジャンパーやリム付近で繰り出すレイアップも得意としていたが、パーカーのシグネチャームーブはやはりフローター。

「小さい頃から自然とやっていた。僕は小柄で細身だったから、大きな相手からシュートする方法を見つけないといけなかった。それを超速くやったんだ。ショットをコントロールしてね。それで僕のトレードマークになったのさ」

 パーカーは素早い動きからペイントエリアへ侵入し、ドライブから1歩目で高いアーチを描くフローターを放ち、面白いように決めていった。その絶妙なシュートタッチから"ティアドロップ"と呼ばれ、相手の動きにうまく対応して切り出す方向転換や一気にギアを上げて相手を出し抜くヘジテーション、美しいスピンムーブもあり、オフェンス面で脅威となった。

 2019年11月には背番号9がスパーズの永久欠番となり、2023年にはスペイン出身のパウ・ガソル(元ロサンゼルス・レイカーズほか)、ドイツ出身のダーク・ノビツキー(元ダラス・マーベリックス)というリーグの国際化に尽力した外国籍出身選手たちとともに殿堂入りを果たした。

 引退後、パーカーは2020年にフランスでアカデミーを開校して若い世代の育成にも尽力。現在はフランスのリオンを本拠地にするクラブLDLCアスヴェルを運営するなど精力的に活動している。

「子どもの頃に描いていた夢でも、自分のジャージーが永久欠番になるなんて想像すらしていなかった。それだけスパーズで、僕らはすごいことを成し遂げてきたんだと思い知っているよ」

 選手としてのキャリアをそう振り返ったパーカー。今年7月12日のフランスとセルビアの強化試合で、背番号9がフランス代表の永久欠番にもなった。オリンピックへ2度、FIBAユーロバスケット(欧州選手権)へ6度も出場したパーカーは、ユーロバスケットで計4つのメダル(金1、銀1、銅2)を獲得した。それは、同代表のチームスポーツ選手として史上初の快挙だ

 NBAにはこれまでノビツキーやガソル、現役でもヤニス・アデトクンボ(ミルウォーキー・バックス/ギリシャ)、ニコラ・ヨキッチ(デンバー・ナゲッツ/セルビア)、ルカ・ドンチッチ(マーベリックス/スロベニア)といったヨーロッパ出身のスーパースターたちがいるが、なかでもパーカーはヨーロッパ出身のPGとしてGOAT(史上最高の選手)のひとりと言っていいはずだ。

【Profile】トニー・パーカー(Tony Parker)/1982年5月17日、ベルギー
ウェスト=フランデレン州生まれ。2001年NBAドラフト1巡目28位指名。
●NBA所属歴:サンアントニオ・スパーズ(2001-02〜17-18)―シャーロット・ホーネッツ(18-19)
●NBA王座:4回(2003、05、07、14)/ファイナルMVP:1回(2007)
●五輪代表歴:2012年ロンドン五輪(6位)、2016年リオ五輪(6位)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

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