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佐古賢一が振り返るバスケW杯 富樫勇樹と河村勇輝の同時招集で「トムは賭けに勝った」

  • 牧野豊●取材・文 text by Makino Yutaka
  • スポルティーバ●撮影 photo by Sportiva

元日本代表PG・佐古賢一インタビュー 前編

 今夏に行なわれたFIBAバスケットボール・ワールドカップ(W杯)で大躍進を遂げた男子日本代表。地元開催(沖縄)の熱い応援を背に、欧州勢からの史上初白星を含む3勝、アジア最上位(19位)でのパリ五輪出場権を獲得。これまでオリンピック、世界選手権の大舞台には縁遠かった立ち位置、仮にたどり着いた時でも爪痕を残すまでに至らなかった歴史を塗り変えてみせた。

 そんな彼らの勇姿は、かつて日本バスケ界の歴史を変えようと奮闘し続けた稀代の名選手の目には、どのように映ったのか。1990年代から2000年代まで日本のポイントガードの第一人者として活躍した「ミスター・バスケットボール」こと佐古賢一氏(現bリーグ・シーホース三河シニアプロデューサー)は感慨を込めて歴史的偉業を成し遂げたチームを振り返る。

現在はシーホース三河シニアプロデューサーを務める佐古賢一。現在はシーホース三河シニアプロデューサーを務める佐古賢一。この記事に関連する写真を見る

【成功の要因となった渡邊、富樫のリーダーシップ】

――まず、W杯の男子日本代表の戦いぶりを振り返ってください。

佐古賢一(以下同)「本当にいいチームだったなぁ、とあらためて思います。『日本のバスケットボールを自分たちの世代で変えてやる!』という思いは、僕らも含めてどの世代の代表選手たちも抱いてきたけど、僕から2世代、3世代後に当たる今の選手たちの気持ちは本当にすごかった。それが結果につながり、関係者やファンだけではなく、普段あまりバスケットボールを見ない人たちも含めて世の中に伝わったと思うんですよね。それが非常にうれしかった」

――男子代表は4年前のW杯、2年前の東京オリンピックと世界の舞台に立つところまで来ていましたが、全敗でした。その辺りからの流れを含めて、今回のチームは何が変わったと思いますか。

「僕が思う最大の要因は、やっぱり八村塁(ロサンゼルス・レイカーズ)と渡邊雄太(フェニックス・サンズ)という"本物"、良い見本がいたことです。4年前のW杯当時は八村選手がまだ大学生でNBAのドラフト候補の時期で、2年前の東京五輪の時はNBAのドラフト1巡指名選手としてコートに立ち、渡邊選手もNBAの下部リーグとトップチームを行ったり来たりするレベルになっていました。そのふたりがNBAでさらにステップアップして今に至っている。『本物』が努力の仕方、競技への向き合い方、メディアへの接し方などの見本になって、B リーガーや若い世代の選手たちに影響を与えた。それが今回の代表チームにケミストリー(化学反応)を起こした要因ではないかと考えています。Bリーグができてしばらくは、選手たちもプロとアマチュアの間みたいな中途半端な時期があったと思うんですけど、それが『本物』によってみんなの意識が変わっていったことが代表チームの強さにも比例したと思います」

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著者プロフィール

  • 牧野 豊

    牧野 豊 (まきの・ゆたか)

    1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。229月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。

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