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佐古賢一が振り返るバスケW杯 富樫勇樹と河村勇輝の同時招集で「トムは賭けに勝った」 (3ページ目)

  • 牧野豊●取材・文 text by Makino Yutaka
  • スポルティーバ●撮影 photo by Sportiva

――特に河村選手は際立つ活躍で、オフェンスではアウトサイドのシュートだけではなく、ゴール方向へのドライブも積極的に仕掛けていました。

「多分、どの国も河村選手と富永選手、あと富樫選手も含めてですが、日本の1番(ポイントガード)、2番(シューティングガード)のスモールガードの組み合わせに対して攻守両面で苦労していたと思います。それは相手の攻め方でも同様で、特に初戦(対ドイツ)、2戦目(対フィンランド)は相手が高さのミスマッチを生かしてボールを低いライン(ゴールに近い位置)まで持っていくことを試みていたんですけど、それがうまくいかなかった。そのうち豊富な運動量を生かした日本のバスケに翻弄されて、自分たちのリズムを見失い、単発の攻撃になる――そんな展開を相手に強いることは、今までの日本代表にはなかった部分だと思います」

――パリ五輪のメンバー選考は熾烈を極めます。参加国は12と限られるため、W杯以上に全ての試合でタフさが求められます。

「まず、今回、W杯でパリ五輪へのチケットを勝ち取った選手たちは、今回の12人に決めさせてほしいという思いが根底にあると思います。だけど一方で、今後の日本の将来を見据えたチームづくりを考えると、それができない可能性が大きいことも理解している。

そういう中で、ここにどういう選手が加わってくるのか。将来性を見据えたチーム編成にするのか、それとも今回のチームに足りない部分を補うためのピースを加えるのか。単に高さのあるガードを入れるということは、メンバーを入れ替える理由として成り立たない。自分たちがやりたいバスケットに対してこのメンバーで行く、というのが全員に伝わるメンバーでいくべきだと思います」

――八村選手が加入する可能性が高いです。

「世の中の人たちは八村選手が入れば強くなるというイメージを持っていますが、彼が入ることで大きなプラスアルファはもちろんあります。ただ、一方で、今回のチームから失われる部分もあるわけです。その変化がチームのビジョンとして許容できる範囲なのかどうかなど、そういうことを一つひとつ、ていねいに議論を重ねて選択していくしかないと思います。

 今回、アジア大会は若手中心で派遣していましたが、すごく良い選択だったと思います。彼らはここで活躍することで、来年の代表候補30名に食いこむチャンスになるわけです。まずは今シーズン、Bリーグや海外の大学にいる選手たちはそれぞれのチームでどれだけ自分のパフォーマンスを高められるか。それはそのままパリ五輪の日本代表のベースになっていくので、この1年間の楽しみでもあります」

後編>>富樫勇樹と河村勇輝 バスケ日本代表2人のPGの「違い」をレジェンド佐古賢一が語る

PROFILE
佐古賢一(さこ・けんいち)
1970717日生まれ。シーホース三河シニアプロデューサー。北陸高校(福井)インハイ優勝→中央大(3年時に日本代表に選出。「ミスター・バスケットボール」の異名を取った日本バスケ界屈指のポイントガード。1993年〜2002年いすゞ自動車、20022011年アイシンシーホースでプレーし、通算で全日本総合11回、JBL10回の優勝を経験。日本代表として活躍し、1995年福岡ユニバーシアード準優勝、1998年世界選手権出場(31年ぶり自力出場)。シーホース時代は2005年に左足アキレス腱断裂も06年に復帰。同年の世界選手権の日本代表は辞退もドーハアジア大会代表に入る。20113月に引退を表明。引退後は日本代表のアシスタントコーチ、2021U19W杯日本代表ヘッドコーチ。トップリーグでは、広島、北海道などで指揮を執った。今年7月からシーホース三河シニアプロデューサーに就任。

著者プロフィール

  • 牧野 豊

    牧野 豊 (まきの・ゆたか)

    1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。229月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。

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