田臥勇太40歳。身体は動かず、できないことも増加。では、どうする?

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

田臥勇太(宇都宮ブレックス)インタビュー@前編

1980年10月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。バスケットボールの名門高校・秋田県立能代工業に入学し、3年連続でインターハイ・国体・ウィンターカップの3大タイトルを制して史上初の「9冠」を達成。2004年、フェニックス・サンズと契約し、日本人初のNBAプレーヤーとなる。2008年より宇都宮ブレックスでプレー。ポジション=ポイントガード。173cm、75kg。

日本バスケを牽引してきた田臥勇太も40歳になった日本バスケを牽引してきた田臥勇太も40歳になった 40歳になった今なお、田臥勇太はBリーグ宇都宮ブレックスの一員として、コートに立ち続けている。

 時の流れは早い。2004年、田臥がNBAのコートに立った時、チームメイトだったスティーブ・ナッシュは現在、ブルックリン・ネッツのヘッドコーチをしている。田臥が在籍した能代工業高校は、この春から統合され、能代科学技術高校に校名を変える。

 今、田臥がキャリアの晩年にいることは、間違いない。

 173cmの身体は、これまでの勤続疲労のためか、ここ数年多くのケガに悩まされてきた。2018−19年シーズンは腰痛で15試合の出場のみに終わる。2019−20年シーズンは開幕から13試合連続先発出場を果たすも、左ひざにあった違和感が徐々に痛みへと変わり、シーズンを全休することに。

 左ひざは検査の結果、半月板を損傷していることが判明。医師には「手術すれば、練習復帰まで3カ月。手術でひざを開いてみて、状態が複雑であれば半年以上かかる可能性もある」と告げられた。

 当時40歳を目前にした田臥は、ひざにメスを入れる決断を迫られても、手術せずに"引退"という選択肢は脳裏をよぎることすらなかったと語る。

「もうバスケは難しい、できないよというケガだったら、考えたかもしれない。でも、僕のケガはセカンドオピニオンを聞いても、手術さえすればまたプレーできるということだった。だったら、治すためにやるべきことをやろうというマインドに、すぐに切り替えられましたね」

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