田臥勇太と渡邊雄太。細い糸でつながる「NBAプレーヤー」の系譜 (4ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

「以前とは身体がまったく違う。上半身、とくに胸と腕が別人。コンタクトに強くなり、そのぶんディフェンス力が格段に向上した」

 ディフェンス力の向上にも、筋力アップにも、地味な反復練習が必要だ。成長したディフェンス力と体躯が、渡邊がたゆまぬ努力を続けたことを何よりも証明している。

 一方、38歳になった田臥も、今なお現役を続けている。

 渡邊の出現まで「日本人で唯一のNBAプレーヤー」という看板を、14年もの間、その小さな背中に背負い続けた男の覚悟に、畏怖の念すら抱く。

 そして田臥は、現役を続けるだけでなく、今も上達するためにチャレンジを続け、バスケットボールと誠実に向き合っている。

 たとえば2015年、リオ五輪の予選を兼ねたアジア選手権。日本代表で誰よりもルーズボールに頭からダイブしていたのは、田臥だった。結果、日本代表は18年ぶりにベスト4に進出し、リオ五輪最終予選の切符を獲得している。

 翌年の最終予選直前、日本代表は中国遠征を行なった。そのメンバーから2選手を落選させ、最終登録メンバー12名を決定しなくてはいけない。通常は所属クラブを通して、代表メンバーに選出されたかどうかが伝達される。

 しかし、当時の代表監督の長谷川健志は、アジア予選突破や遠征・合宿で苦楽をともにした選手には対面で当落を伝えるべきだと、羽田空港ロビーの片隅に選手を集めてメンバー発表を行なった。長谷川が、年長者から順に発表する。

「はい!」

 最初に最年長、田臥の名前を告げると、予想以上に大きな返事が空港ロビーに響き渡り、長谷川は驚く。田臥に続いて名前を呼ばれたメンバーも皆、大声で返事をした。

 最終予選で日本代表はラトビアとチェコに敗れ、リオ五輪への扉は閉ざされた。それでも、このチームが五輪出場に指までかけたすばらしいチームだったことは間違いない。

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