【NBA】レブロンの心を激しく揺さぶった「故郷」への想い
レブロン・ジェームズは、マイアミで過ごした4年間を、「大学」と表現した。
2010年に故郷(※1)のチーム、クリーブランド・キャバリアーズを離れてフリーエージェントとなり、マイアミ・ヒートと契約してから4年――。多くの若者が大学で過ごす期間と同じ年月をマイアミで過ごしたレブロンは、今年夏、再びフリーエージェント宣言すると、クリーブランドに戻ることを決断した。
※1=レブロン・ジェームズはクリーブランドと同じオハイオ州のアクロン生まれ。
レブロン・ジェームズがクリーブランドの地に戻ってくる(写真は2010年のキャブス時代) 再び古巣のキャブスと契約するという決断を下したレブロンは、『スポーツ・イラストレイテッド』のウェブサイトに掲載したエッセイの中で、その気持ちをこう説明した。
「僕にとってのマイアミは、他の若者たちにとっての大学のような場所でした。この4年間があったからこそ、今の自分があると思っています。以前よりいい選手、そしていい人間に成長できました。これからも、マイアミは僕にとって第2の故郷です。マイアミでの経験がなければ、今日、やろうとしていることはできなかったでしょう」
4年前のレブロンは、リーグでトッププレイヤーのひとりとして認められながらも、NBA優勝を知らない選手だった。だからこそ、ヒート球団社長のパット・ライリーが見せた6つの優勝リング(※2)に惹きつけられた。故郷に後ろ髪をひかれながらも、レブロンはマイアミの地を選んだのだった。
※2=パット・ライリーは現役時代に1回(1972年/ロサンゼルス・レイカーズ)、監督として5回の優勝経験を持つ(1982年・1985年・1987年・1988年/レイカーズ、2006年/マイアミ・ヒート)。
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