トヨタのスーパーGT連覇のカギは「アレジの息子」 泣かず飛ばずのどん底を乗り越えてついに才能が開花! (2ページ目)
【「アレジの息子」に向けられた世間の目】
ヨーロッパでレース経験を積み、父が在籍したフェラーリの育成ドライバーにも選ばれたジュリアーノ・アレジは、F1の登竜門でもあるFIA F2までステップアップした。しかし、そこでは結果を残すことができず、2021年から活動の場を日本に移した。
急遽代役で参戦したスーパーフォーミュラでは、さまざまなラッキーも重なり2戦目にして初優勝を記録。「アレジの息子」に向けられた世間の期待は、いやがおうにも高まった。
しかしその後は、上位に進出できないレースが続く。2022年からはスーパーGTにGT500クラスで参戦するも、ほとんど表彰台に届かない苦しい日々が続いた。
結果が出ないと、もちろんドライバーへの風当たりは強くなる。特にアレジは来日直後のインパクトが大きかった分、その後の苦戦が悪目立ちした。2023年のスーパーフォーミュラのシーズン途中にドライバー交代を宣告され、レギュラーの座を失ってしまうことになる。
アレジはサーキットで会えば、いつも笑顔を振る舞うナイスガイ。しかし、次第にその笑顔も消えていった印象があった。アレジが当時を振り返る。
「うまくいかない時、ドライバーのせいにするのは簡単だけど、それ以外にもさまざまな原因があったりします。僕たちはクルマをできるだけ速く乗りこなすのが仕事だから、それがうまくいかなくて実力を見せられない時間が続いた時は、正直フラストレーションが溜まりました。当時を振り返ると本当に大変な時期で、ストレスで髪の毛が抜けていないのがミラクルなくらい、本当につらかったです」
昨年からコンビを組み、ともに苦しい時期を歩んできた笹原も、アレジについてこう語る。
「ジュリアーノのフラストレーションが溜まって、めちゃくちゃ怒っている時もありましたけど、『自分たちを信じられなくなったら終わりだからね』と話していました。『とにかく耐え続けてひとつひとつ解決していこう。そうすれば絶対に何かすごいことが起こるから』と言い続けていました」
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