アイルトン・セナの最期は「覇気がないというか、苦悩に満ちていた」日本人F1カメラマンが目撃した表情の変化 (2ページ目)

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo

【世界各地で見た、追っかけの日本の女の子】

 国内のレース界にはセナという名前のプロドライバーがいますし、一般社会にもセナという名前の人がいます。「セナがいたから今の自分がある」とか「セナの生き方に影響を受けた」と話す人にも時々会います。それくらいセナは当時の日本で大きな影響力がありました。

 1992年はまだバブル景気の余波のようなものが残っており、今に比べると日本の景気はまだまだよかった時代です。カメラマンとして世界各国を転戦していると、どのサーキットにもセナの追っかけみたいな日本人の女性がいました。

 今はサーキットでドライバーを見かけると、大勢のファンが取り囲んでサインや写真をねだるという状況になりますが、当時はドライバーとファンの距離は近く、気軽にドライバーと話ができました。

 だから、日本からわざわざ来た女の子に「セナと話してくればいいじゃない?」と声をかけたことがあったのですが、「怖いからいい」と。セナをただ遠くから見守るだけでした。そんな時代でしたね。

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