アイルトン・セナの最期は「覇気がないというか、苦悩に満ちていた」日本人F1カメラマンが目撃した表情の変化 (4ページ目)

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo

【セナvsマンセルの死闘は極上のエンターテイメント】

 F1フォトグラファーとして30年以上もコース脇で撮影していると「マックス・フェルスタッペンは速い。他のドライバーとはドライビングが違う」と感じとることができます。でも、この頃の僕は新人みたいなものですので、必死にシャッターを押すだけでした。

 今の自分が当時のセナをコーナーで撮影していたら、セナのドライビングのすごさを感じられたかもしれませんが、当時はそんな余裕はありませんでした。でも、セナがマンセルと死闘を繰り広げたモナコGPだけは別です。1年目の僕でも圧倒されました。

 1992年のモナコGPは日本では一番有名なレースのひとつだと思いますが、あんな接近戦はあとにも先にも見たことがありません。撮影していて、セナのうしろを走るマンセルのマシンが見えないくらいくっついて走ってくるのです。まるで2台のマシンが1台に重なっているように見えました。

 市街地コースは幅が狭く抜きようがないので、スピードの遅いマシンが速いマシンを抑える展開になることはよくありますが、あんなにぴったりと接近して走り続けるなんてなかなかできません。

 現代のドライバーだったら、ぶつかってしまう可能性はあるでしょうね。ふたりのドライバーが本能をむき出しにして走り、極限のレベルの戦いを見せてくれました。「これぞ古きよき時代のモーターレーシング」というレースだったと思います。

 そもそも現代のF1ではあんなに接近して走る必要はありません。タイヤやブレーキをセーブして、ピットイン戦略で抜こうという展開になるはず。それにうしろにくっつくと乱気流でダウンフォースが減ってしまうので、一定の距離を置こうとすると思います。

 でも、マンセルはそうしなかった。ある意味、セナとマンセルというチャンピオンの意地の張り合いが極上のエンターテイメントを生み出したと思います。

 1992年のモナコGPはセナがもっとも輝いたレースのひとつだと思います。このシーズンを最後にホンダがF1を撤退し、マクラーレン・ホンダとセナの黄金時代に終止符が打たれました。

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