F1日本GPを語ろう(2)鈴木亜久里「アルボレート、ワーウィック...みんないい奴。一番つまらなかったのは...」 (2ページ目)

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro

── 1988年の日本グランプリでは、中耳炎により欠場したヤニック・ダルマスの代役という形で急遽参戦することになりましたよね。

「テストも何もしていなくて、もう、いきなりでしたね。なかなか面白かったですよ。どこかエキシビションみたいな感じで。楽しかったです」

── 3位表彰台に上がった1990年の日本グランプリ。客席の雰囲気はいかがでしたか?

「スタートする時は、もちろん日本の旗も振られていたんだけど、多くはブラジルの旗(F1ブームを牽引していたアイルトン・セナの影響)ばかりで、『なんでブラジルばっかり......』と思ってレースを始めました(笑)。でも、ゴールしたら日本の旗に変わっていました。『だったら最初から日本の旗を振ってよ!』と思いましたね。

 チェッカーを受けたあとの1周は各コーナー、日本の旗ばかり......。それが一番の印象でしたね」

── 亜久里さんにとって「F1で鈴鹿を走る」というのは、何か特別ものでしたか?

「いや、基本的にF1はどこに行っても一緒で、そのサーキットの形が変わるだけ。パドックの中に入れば一緒にいるメンバーも変わらないし。鈴鹿は、どこにクルマのセッティングを合わせれば全部がうまくいくかわかっていた、というくらいですね」

── 当時のF1日本グランプリの盛り上がりは?

「本当にすごかったですよ。どこに行っても人がいっぱいだったのを覚えています。日本だけでなく、ヨーロッパもすごかったです。特にイタリアとか。

 当時も盛り上がっていたけど、今また、世界的にF1ブームになってきていると思います。先日のオーストラリアGPも(3日間合計で)45万人が入ったそうで、すごいですね。

 やっぱり今、アメリカ(F1興行主のリバティメディア)がエンターテイメントのビジネスをコントロールし始めてから、全然違うなと感じています。アメリカのマーケットは自動車メーカーにとってすごく大事だから、各メーカーもF1をやる意味があるんじゃないかなと思います」

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