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F1日本GPを語ろう(2)鈴木亜久里「アルボレート、ワーウィック...みんないい奴。一番つまらなかったのは...」

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro

F1日本グランプリを語ろう(2)
鈴木亜久里インタビュー

 これまで秋に開催されてきたF1日本グランプリが、2024年から初めて春に行なわれるスケジュールとなった。今年は4月5日〜7日に鈴鹿サーキット(三重)で開催される。

 これまで数多くのドラマが生まれ、日本のみならず世界中から注目を集める鈴鹿でのF1日本グランプリ。その歴史のなかには、数々の日本人F1ドライバーの活躍もあった。

 今回は1990年の日本グランプリで「日本人初のF1表彰台」を達成した鈴木亜久里氏に当時の話を聞く。現在はARTA(オートバックス・レーシング・チーム・アグリ)のプロデューサー/チーム総監督としてスーパーGT(GT500クラス)に参戦。「世界に通用する日本人ドライバー」を生み出すべく、若手ドライバーの育成にも力を注いでいる。

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現在とF1ドライバー時代の鈴木亜久里氏 photo by Yoshida Shigenobu, AFLO現在とF1ドライバー時代の鈴木亜久里氏 photo by Yoshida Shigenobu, AFLOこの記事に関連する写真を見る── 鈴木亜久里さんとF1といえば、ファンの間では特に「1990年の3位表彰台」が印象的ですが、あらためてF1日本グランプリの思い出はどのようなものでしたか?

「いつも秋に日本グランプリが行なわれていたので、その後はオーストラリアでのグランプリ最終戦のみ。言ってみれば、『1年間が終わって、やっと日本に帰ってくることができたな......』という感想が一番大きかったです。

 最後のオーストラリアはある意味、ホリデーみたいなもの。自分の気持ちのなかでは『鈴鹿が最終戦』みたいなイメージでしたね。やっぱり日本に戻ってくるのが、なんかうれしかったよね(笑)」

── 特に印象に残っている日本グランプリはありますか?

「どのシーズンも全部、鮮明に覚えていますよ。(1989年に)ザクスピードで予備予選落ちしたのもそうだし、次の年に表彰台に乗ったのもそうだし、最後(1995年)に予選でクラッシュして(F1ドライバーとしての現役生活が)終わったのも覚えています。

 それこそデビュー戦というか、初めてF1を走ったのも鈴鹿だった(1988年にラルースからスポット参戦)。すべての瞬間、瞬間は、今でも鮮明に覚えています」

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著者プロフィール

  • 吉田知弘

    吉田知弘 (よした・ともひろ)

    モータースポーツジャーナリスト。1984年12月19日生まれ、石川県出身。2011年よりスーパーGT、スーパーフォーミュラなど国内4輪レースを中心に取材。専門誌やweb媒体などで執筆中。日本モータースポーツ記者会所属。

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