ハッキネンvs.シューマッハ。
鈴鹿で火花、もうひとつのライバル対決
【短期連載】鈴鹿F1日本グランプリ30回記念企画
鈴鹿サーキットでのF1日本GPは過去11度、ワールドチャンピオン決定の舞台となった。その鈴鹿でタイトル獲得を決めたひとりが、フィンランド出身のミカ・ハッキネンだ。開催30回目を迎える今年の記念大会には、1998年と1999年に2年連続でワールドチャンピオンとなったハッキネンも来日する。
F1日本GP「伝説の瞬間」(1)から読む>>>
1998年、1999年と2連連続して鈴鹿で年間王者を決めたミカ・ハッキネンF1日本GP「伝説の瞬間」(7)@ゲストドライバー編
ミカ・ハッキネン(1998年~2000年)
1991年にF1デビューを飾ったハッキネンだったが、シートを得たロータス・ジャッドは戦闘力が乏しく、2年間は苦労の日々が続いた。しかし、1993年にマクラーレンに移籍(レース出走は第14戦から)すると徐々に才能を発揮させ、ついに1997年の最終戦・ヨーロッパGPでF1初優勝を果たした。
そして1998年、マクラーレンで6年目を迎えたハッキネンは、開幕戦から破竹の勢いを見せる。第15戦までに7勝をマークし、初のワールドチャンピオン獲得に王手をかけた。
最終戦となった第16戦・日本GP――。鈴鹿でタイトルを争うことになった相手は、因縁のライバルであるミハエル・シューマッハ(フェラーリ)だ。
ハッキネンとシューマッハの対決は、F1デビュー前の1990年、マカオF3グランプリが最初だった。ふたりは優勝を競い激しいバトルを展開したが、最終ラップでまさかの接触。シューマッハはリアウイングを破損しながらも最後まで走り切り、マカオGPで優勝を飾った。一方、ハッキネンはマシンのコントロールを失い、ガードレールにヒット。ゴール直前でリタイアを喫し、悔しい結末となった。
それから8年後の鈴鹿。ふたりは予選から0.1秒を争う激しいタイムアタック合戦を演じ、スタンドに詰めかけたファンは大いに熱狂した。結果は4ポイント差でランキング2位につけるシューマッハがポールポジションを獲得。チャンピオン争いで優位に立つハッキネンは2番手となった。
1 / 3