2014.05.09

【F1】今宮純が想う「セナがすべての者に託した遺言」

  • 川喜田研●構成・文 text by Kawakita Ken 喜 安●写真 photo by Kiyasu, AFLO

5月特集 F1 セナから20年後の世界

今宮純が語る「セナ前・セナ後――F1は20年でどう変わったのか?」(後編)

 1994年5月1日、アイルトン・セナは34歳でこの世を去った。あれから20年――。セナなきF1界は、どのように変化していったのか。残された者に託された「次世代のF1」のあり方を、モータースポーツジャーナリストの今宮純氏が語る。

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ウイリアムズに移籍した1994年、帰らぬ人となったアイルトン・セナ 1994年5月1日のアイルトン・セナについて、「虚ろな目をしていた」とか、「戦いたくなさそうだった」などと言う人がいるけれど、そうした見方は「後づけ」だと思っている。おそらく、あの日、セナの胸中にあったのは、「孤独」と「焦燥」というふたつの感情ではなかったろうか。

 前年、宿命のライバルであったアラン・プロストが4度目の世界チャンピオン獲得を果たすと、引退を表明。1991年には同じブラジル出身のネルソン・ピケが、そして1992年には悲願の初タイトル獲得を手にしたナイジェル・マンセルがそれぞれF1を去り(後に一時的に復帰)、1994年シーズンを迎えた歴代のワールドチャンピオンは、セナただひとり。それまで数々の名勝負を演じてきたライバルたちがF1から姿を消し、「そして誰もいなくなった」シーズンだった。

 34歳のセナが戦う相手は、当時25歳のミハエル・シューマッハやミカ・ハッキネンといった次の時代を彩る若手たち。いつしか追うのではなく、セナは「追われる立場」となっていた。孤独なチャンピオンに、心境の変化が少し感じられたような気がした。

 英・仏共同体の強力チーム、ウイリアムズ・ルノーに移籍したセナは、開幕戦ブラジルGPでスピン、続く第2戦パシフィックGPではアクシデントに巻き込まれ、2戦連続でリタイア。ハイテク化やルール制限、さらに燃料ピット給油が復活し、1994年シーズン序盤からまったく歯車が噛み合っていない状態に、セナはいろいろと悩んでいた。また、ニューシャシーFW16の感触も決してく良くはなく、アップデートをスタッフたちと検討する日々であった。

 そして、「事故」は起こった……。サンマリノGP決勝レース7周目、タンブレロコーナーをコースアウトし、時速219キロ(事故後の発表)でコンクリートウォールに激突。事故発生の瞬間はセナの最期を覚悟したものの、公式発表がなされるまでは彼の尊厳を鑑(かんが)み、スポーツ中継を全うする気持ちでいた。だが、現場でそのウォールにヘルメットの黄色の痕跡を見た自分は、立ちすくんだ。