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【F1】あの事故から20年。中嶋悟が語る「セナの素顔」

  • 川原田剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi photo by Murakami Shogo

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5月特集 F1 セナから20年後の世界
中嶋悟インタビュー 前編

  80年代から90年代、日本で隆盛を極めた驚異的なF1人気。それは、アイルトン・セナというひとりのドライバーの存在が大きな要因だったことは間違いない。あの頃、誰もがセナに注目し、熱狂していた。そして、そのスーパースターにアクシデントが起こった。

 1994年5月1日、F1サンマリノGP決勝レースが行なわれていたイタリア、イモラサーキットの事故で、セナはこの世を去った......。

 あれから20年――。F1というモータースポーツはどのように進化を遂げ、発展してきたのか。そして、あの頃から、何が変わって、何が変わらないままなのか。当時を知るドライバー、ジャーナリストらに、セナへの思い、F1への思いを語ってもらった。

 第1弾は日本人初のレギュラーF1ドライバー、中嶋悟氏。日本レース界で圧倒的な成績を残し、1987年、34歳でようやくF1参戦の道を切り拓いた中嶋氏が、ロータス・ホンダでチームメイトになったのが若き日のアイルトン・セナだった。

 当時27歳のセナは、すでにF1でのキャリアは3年を数えていた。タイトルこそ獲得していないが、4度の優勝を記録しており、未来の世界チャンピオンの有力候補として見られていた。

 F1の頂点を目指し、ギラギラしながら戦っていたセナの走りを、中嶋氏はチームメイトとしてどのように見て、感じていたのだろうか? 伝説の日本人ドライバーが、若き日のセナを語ってくれた。

1987年、セナと同じチームのロータスでF1デビューを飾った中嶋悟氏1987年、セナと同じチームのロータスでF1デビューを飾った中嶋悟氏 セナの何がすごいかっていうと、とにかく運転がうまいんです。ハンドルを切るのも、ブレーキを踏むのも、アクセルをコントロールするのも、全部がうまい。すべての操作を正確かつ短時間にこなすことができる。

 僕だって運転はうまいんですよ(笑)。だから日本では当時F1のひとつ下のカテゴリーだった全日本F2で、6年間(1981年~1986年)で5回もチャンピオンになることができました。当時はクルマさえ壊れなければほぼ勝てるという自信もありましたし、日本で戦っているドライバーの中では一番うまいと自負していました。また、国内のF2を戦う上では十分な体力がありました。レースを走りきったあとも息は切れず、汗もかかずに優勝しちゃうという、それぐらい余裕がありました。

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