ウマ娘でも強い逃げ馬のセイウンスカイ。菊花賞で見せた策士ぶりを振り返る

  • 土屋真光●文 text by Tsuchiya Masamitsu
  • photo by Kyodo News

 メディアミックス作品「ウマ娘 プリティーダービー」において、キャラの強い逃げ馬ウマ娘は多く登場するが、気性難に由来する部分がデフォルメされていたり、どこか影を持っていたりすることが多い。そのなかで作戦として巧みな逃げを見せる"策士"である逃げ馬のウマ娘が、今回取り上げるセイウンスカイだ。

1998年の菊花賞で逃げ馬らしい走りをしたセイウンスカイ1998年の菊花賞で逃げ馬らしい走りをしたセイウンスカイこの記事に関連する写真を見る 1995年生まれの競走馬・セイウンスカイは同世代のスペシャルウィーク、キングヘイローとともに"三強"を形成し、1998年の4歳(旧表記・現3歳/以下同)クラシックを大いににぎわせた。ただ、華やかな血統背景を持つほかの2頭と異なり、セイウンスカイは失敗種牡馬の烙印を捺されたシェリフズスターを父に持つように、やや地味な出自であった。

 デビュー戦、ジュニアCと続けて圧勝。とりわけジュニアCでは、前後半の半マイルを同じラップでまとめながら、後半でも加速しているという、類稀な能力の一端を見せていた。ただ、春は皐月賞を勝利したものの、大一番である日本ダービーではスペシャルウィークに大きく差をつけられての4着に敗れたこと、そして前出の出自の地味さもあって、実績に対して評価はそれほど高くなく、実際のレースでも、3歳の有馬記念までは1番人気になることは1度もなかった。逆に言えば、有馬記念に向けて評価を高めたレースがあったということ。それが1998年の菊花賞であった。

 ひと夏を越して、セイウンスカイが秋初戦として選択したのは、セントライト記念や神戸新聞杯、京都新聞杯といった菊花賞のトライアル競走ではなく、古馬混合の京都大賞典であった。関東馬のセイウンスカイにとって、これまで菊花賞の京都競馬場での出走はおろか関西への輸送競馬の経験もなかった。当時は菊花賞の最終ステップとしては、3週前に行なわれていた京都新聞杯が有力馬の選ぶレースとされており、宿敵スペシャルウィークとキングヘイローも出走を予定していた。しかし、セイウンスカイ陣営は古馬との対戦を承知で、あえて4週前の京都大賞典を選択したのだ。

 その京都大賞典も、その年の天皇賞・春を制したメジロブライト、前年の有馬記念馬シルクジャスティス、天皇賞・春と宝塚記念で連続2着のステイゴールドと、GI級のメンバーが顔を揃えており、セイウンスカイは7頭立てながら4番人気に甘んじていた。しかし、セイウンスカイは、後続を20馬身近く離す大逃げから、3~4コーナーで後続を引きつけ、最後にもう一度スパートして粘り込むという、味のある競馬で強力メンバーを完封したのであった。

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