「ウマ娘」で熱血キャラのバンブーメモリー。重賞初出走の安田記念で勝利、オグリキャップの好敵手として活躍した

  • 土屋真光●文 text by Tsuchiya Masamitsu
  • photo by Sankei Visual

 メディアミックス作品「ウマ娘 プリティーダービー」において、熱血キャラは多く登場するが、そのなかでも「風紀委員」として存在感を発揮しているのが、バンブーメモリーだ。39人のウマ娘をライバルとして、向上心の塊のようなキャラとして描かれており、この春の特別イベントシナリオでは、「元応援団長」としてもその熱血ぶりをいかんなく発揮していた。

1989年の安田記念でG I初勝利を挙げたバンブーメモリー1989年の安田記念でG I初勝利を挙げたバンブーメモリーこの記事に関連する写真を見る 物語中では先輩であるオグリキャップとの対決を熱望し、正々堂々と渡り合うために苛酷なトレーニングにも余念がない。史実でバンブーメモリーは、オグリキャップとともに1985年生まれで、先輩後輩の関係ではなく同世代だ。ただ、オグリキャップが3月生まれに対して、バンブーメモリーは5月生まれである。

 また、バンブーメモリーがデビュー戦を迎えた頃には、オグリキャップはすでに地方で重賞を2勝しており、オグリキャップがジャパンカップでペイザバトラーやタマモクロスとしのぎを削ったその日、バンブーメモリーはようやく3勝目の条件特別を勝ったように、キャリアの上ではオグリキャップのほうが目標となる立場であったことに違いはない。

 史実のバンブーメモリーは、武邦彦厩舎の所属で、武邦彦の息子でデビュー1年目の武豊騎手を背にデビュー。武豊騎手とのコンビはその後、生涯39戦中22戦を組むことになる。3戦目で初勝利、7戦目で2勝目、さらに8カ月の休養を挟んで9戦目で3勝目と、比較的順調に勝ち星を重ねていったが、デビュー後しばらくは蹄が弱かったため、蹄へのダメージの少ないダート戦だけで使われていた。3勝目を挙げて準オープン(現3勝クラス)入りしてからは、これまでと一転して苦戦する競馬が続く。

 1989年、5歳(当時の表記、現4歳)の春になって、蹄の状態もよくなったことで、芝の道頓堀S(阪神・芝1600m)へ武豊騎手を背に出走すると、初芝ながらあっさりと勝利し、オープン入りを果たす。この勝ちっぷりに武豊騎手は「芝でも相当強い」と父の武邦彦調教師に進言したそうで、これをきっかけにバンブーメモリーの運命は一気に転換していく。

 陣営は続いて1カ月後の当時はオープン特別であったシルクロードS(京都・芝1600m)に出走。前年の桜花賞とエリザベス女王杯でともに2着だったシヨノロマンが勝利し、そこから0秒1差の3着に敗れる(余談であるが、シヨノロマンに騎乗していたのは武豊騎手)も、間髪入れずに連闘で翌週のGI安田記念(東京・芝1600m)に駒を進める。

 実は、バンブーメモリーは現役期間中に、3度も連闘で出走している。ひとつは4歳の1月、ふたつ目がこの5歳5月で、3つ目はこの秋のマイルチャンピオンシップからジャパンカップ。そう、オグリキャップの伝説の連闘と同じレースに出走していたのだ。そのあともオグリキャップとは何度も対戦することになるが、このエピソードが、ウマ娘作中における熱血キャラ、そしてオグリキャップを目標とする設定につながっているのだろう。

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